十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
天地ノ間。此道時ニ隨テ隱顯スル。東夷西戎何ノ處カ是ナラザルベキ。上下貴賤何人カ是ナラザルベキ。限局シテ守ル者ハ少分身ヲ修メ家ヲ安ンスル。通貫シテ用フル者ハソノ德古今ニ布ベシ。且ク老子ヲ善用スル者ハ無爲ニシテ天下國家ヲ安ンスル。惡ク用フル者ハ放蕩トシテ禮儀ヲ廢スル。謬レハ申子韓非子カ如キニ墮ル。甚シキニ至テハ。張角林靈素カ類ニモ流ルルシヤ。孔子ノ書ヲ善用スル者ハ四海一家ノ如ク。萬民一身ノ如クシヤ。惡ク用フル者ハ。禮教ニ滯リ。反テ國ヲ亂ス。謬レハ明ノ建文君方孝儒カヤウニナル。甚シキニ至テハ。漢ノ王莽宋ノ王安石カ類ニモ墮ル。孔丘老聃ノ意ニハ違フコトシヤ。
新字:天地ノ間。此道時ニ随テ隠顕スル。東夷西戎何ノ処カ是ナラザルベキ。上下貴賤何人カ是ナラザルベキ。限局シテ守ル者ハ少分身ヲ修メ家ヲ安ンスル。通貫シテ用フル者ハソノ徳古今ニ布ベシ。且ク老子ヲ善用スル者ハ無為ニシテ天下国家ヲ安ンスル。悪ク用フル者ハ放蕩トシテ礼儀ヲ廃スル。謬レハ申子韓非子カ如キニ堕ル。甚シキニ至テハ。張角林霊素カ類ニモ流ルルシヤ。孔子ノ書ヲ善用スル者ハ四海一家ノ如ク。万民一身ノ如クシヤ。悪ク用フル者ハ。礼教ニ滞リ。反テ国ヲ乱ス。謬レハ明ノ建文君方孝儒カヤウニナル。甚シキニ至テハ。漢ノ王莽宋ノ王安石カ類ニモ堕ル。孔丘老聃ノ意ニハ違フコトシヤ。
書き下し
天地ノ間。此道時ニ随テ隠顕スル。東夷西戎何ノ処カ是ナラザルベキ。上下貴賤何人カ是ナラザルベキ。限局シテ守ル者ハ少分身ヲ修メ家ヲ安ンスル。通貫シテ用フル者ハソノ徳古今ニ布ベシ。且ク老子ヲ善用スル者ハ無為ニシテ天下国家ヲ安ンスル。悪ク用フル者ハ放蕩トシテ礼儀ヲ廃スル。謬レハ申子韓非子カ如キニ堕ル。甚シキニ至テハ。張角林霊素カ類ニモ流ルルシヤ。孔子ノ書ヲ善用スル者ハ四海一家ノ如ク。万民一身ノ如クシヤ。悪ク用フル者ハ。礼教ニ滞リ。反テ国ヲ乱ス。謬レハ明ノ建文君方孝儒カヤウニナル。甚シキニ至テハ。漢ノ王莽宋ノ王安石カ類ニモ堕ル。孔丘老聃ノ意ニハ違フコトシヤ。
現代語訳
天地の間に、この道は時に従って隠れたり現れたりする。東夷西戎のどの所が、これでないことがあろうか。上下貴賤のどの人が、これでないことがあろうか。限って守る者は、少しく身を修め家を安んじる。通して用いる者は、その徳を古今に広めるだろう。しばらく言えば、老子をよく用いる者は、無為にして天下国家を安んじる。悪く用いる者は、放蕩して礼儀を廃する。誤れば申子や韓非子のようなものに堕ちる。甚だしくなると、張角や林霊素の類にも流れるのである。孔子の書をよく用いる者は、四海を一家のように、万民を一身のようにする。悪く用いる者は、礼教に滞り、かえって国を乱す。誤れば明の建文帝や方孝孺のようになる。甚だしくなると、漢の王莽や宋の王安石の類にも堕ちる。孔丘や老聃の意には違うことである。
解説
この章句が説くこと
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