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十善法語 / 巻第四・不妄語戒

ナセソ。法トシテ如是シヤ。身業眞正ナレハ。一切世間カ其身業ニ就テ回ルト云コトシヤ。世尊六年苦行滿シテ。菩提樹下ニ趣キタマフトキ。吉祥鳥空中ニ翺翔シ。白鹿前導シ。風神塵ヲ拂ヒ。雨神微雨ヲソソキ。草木マテ偃シタトアル。意業眞正ナレハ。一切世間カ其人ノ意業ニ就テ回ルト云コトシヤ。律藏ノ中ニモ。淨持戒ノ人ハ所念皆成就ストアル。此ヲ諸佛ノ眞實言ト名ツクル。假令末世今日底下ノ者テモ。佛法ノ中ニ出家シ。生來妄語ナケレハ。無師自覺スル器ト成シヤ。此等ハ面白キコトシヤ。實實ニ佛戒ヲ護スル人ハ自ラオホユヘキコトシヤ。

新字:ナセソ。法トシテ如是シヤ。身業真正ナレハ。一切世間カ其身業ニ就テ回ルト云コトシヤ。世尊六年苦行満シテ。菩提樹下ニ趣キタマフトキ。吉祥鳥空中ニ翺翔シ。白鹿前導シ。風神塵ヲ払ヒ。雨神微雨ヲソソキ。草木マテ偃シタトアル。意業真正ナレハ。一切世間カ其人ノ意業ニ就テ回ルト云コトシヤ。律蔵ノ中ニモ。浄持戒ノ人ハ所念皆成就ストアル。此ヲ諸仏ノ真実言ト名ツクル。仮令末世今日底下ノ者テモ。仏法ノ中ニ出家シ。生来妄語ナケレハ。無師自覚スル器ト成シヤ。此等ハ面白キコトシヤ。実実ニ仏戒ヲ護スル人ハ自ラオホユヘキコトシヤ。

書き下し

ナセソ。法トシテ如是シヤ。身業真正ナレハ。一切世間カ其身業ニ就テ回ルト云コトシヤ。世尊六年苦行満シテ。菩提樹下ニ趣キタマフトキ。吉祥鳥空中ニ翺翔シ。白鹿前導シ。風神塵ヲ払ヒ。雨神微雨ヲソソキ。草木マテ偃シタトアル。意業真正ナレハ。一切世間カ其人ノ意業ニ就テ回ルト云コトシヤ。律蔵ノ中ニモ。浄持戒ノ人ハ所念皆成就ストアル。此ヲ諸仏ノ真実言ト名ツクル。仮令末世今日底下ノ者テモ。仏法ノ中ニ出家シ。生来妄語ナケレハ。無師自覚スル器ト成シヤ。此等ハ面白キコトシヤ。実実ニ仏戒ヲ護スル人ハ自ラオホユヘキコトシヤ。

現代語訳

なぜか。法としてこのようなのである。身の業が真正であれば、一切の世間がその身の業に従って巡るということである。世尊が六年の苦行を終えて菩提樹の下に赴かれた時、吉祥の鳥が空中を飛び回り、白い鹿が前を導き、風神が塵を払い、雨神が細かな雨を注ぎ、草木まで伏してなびいた、とある。意の業が真正であれば、一切の世間がその人の意の業に従って巡るということである。律蔵の中にも、清らかに戒を持つ人は念じることがみな成就する、とある。これを諸仏の真実の言葉と名づける。たとえ末世の今日の最も低い者でも、仏法の中で出家し、生まれてこのかた妄語がなければ、師なくして自ら覚る器となるのである。これらは面白いことである。まことに仏戒を護持する人は、おのずから覚えがあるはずのことである。

解説

言葉が真正であれば世間がその言葉に従うように、身の振る舞いが真正であれば世間がその身に従い、心が真正であれば世間がその心に従って巡るという。釈迦が菩提樹に向かうとき鳥や鹿、風や雨、草木までが迎えたという伝え、清らかに戒を持つ人の願いはみな成就するという律蔵の言葉が引かれる。慈雲は、末世の凡夫でも生涯嘘をつかなければ師なしに自ら悟る器になると言い、戒を守る人には実感があるはずだと結ぶ。偽りのない積み重ねが周りを自然に味方にするという見方である。

この章句が説くこと

持戒真正身業意業成就

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