十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中
又經ニ此說アルシヤ。臨死ノ人面上ニ五色ノ風アリ。若地獄ニ入者ハ黑色。若畜生ニ生スル者ハ靑色。若餓鬼ニ生スル者ハ黄色。兼テ舌ヲ出ス。人ニ生スル者ハ常色。若天ニ生スル者ハ鮮花色。精光愛スベシト。若側ニ侍テ死者ノ相ヲ看ルニ。或ハ手ヲ擧テ打拂ヒ。或ハ虛空ヲ攫ミ。或ハ白沫ヲ吐キ。或ハ身體煩悶シ。手足撩亂スル。此類ミナ惡相ナルト云コトシヤ。若柔輕ノ顏色。慈愛ノ相有テ命終ス。若ハ合掌歡喜シテ正念相應スル等ハ。ミナ善相ナルト云コトシヤ。大抵ハ善相ナル者ハ善處ニ生シ。惡相アラハルル者ハ惡趣ニ入ト云コトシヤ。
新字:又経ニ此説アルシヤ。臨死ノ人面上ニ五色ノ風アリ。若地獄ニ入者ハ黒色。若畜生ニ生スル者ハ青色。若餓鬼ニ生スル者ハ黄色。兼テ舌ヲ出ス。人ニ生スル者ハ常色。若天ニ生スル者ハ鮮花色。精光愛スベシト。若側ニ侍テ死者ノ相ヲ看ルニ。或ハ手ヲ挙テ打払ヒ。或ハ虚空ヲ攫ミ。或ハ白沫ヲ吐キ。或ハ身体煩悶シ。手足撩乱スル。此類ミナ悪相ナルト云コトシヤ。若柔軽ノ顔色。慈愛ノ相有テ命終ス。若ハ合掌歓喜シテ正念相応スル等ハ。ミナ善相ナルト云コトシヤ。大抵ハ善相ナル者ハ善処ニ生シ。悪相アラハルル者ハ悪趣ニ入ト云コトシヤ。
書き下し
又経ニ此説アルシヤ。臨死ノ人面上ニ五色ノ風アリ。若地獄ニ入者ハ黒色。若畜生ニ生スル者ハ青色。若餓鬼ニ生スル者ハ黄色。兼テ舌ヲ出ス。人ニ生スル者ハ常色。若天ニ生スル者ハ鮮花色。精光愛スベシト。若側ニ侍テ死者ノ相ヲ看ルニ。或ハ手ヲ挙テ打払ヒ。或ハ虚空ヲ攫ミ。或ハ白沫ヲ吐キ。或ハ身体煩悶シ。手足撩乱スル。此類ミナ悪相ナルト云コトシヤ。若柔軽ノ顔色。慈愛ノ相有テ命終ス。若ハ合掌歓喜シテ正念相応スル等ハ。ミナ善相ナルト云コトシヤ。大抵ハ善相ナル者ハ善処ニ生シ。悪相アラハルル者ハ悪趣ニ入ト云コトシヤ。
現代語訳
また経にこの説がある。死に臨む人の顔の上に五色の風がある。もし地獄に入る者は黒色、もし畜生に生まれる者は青色、もし餓鬼に生まれる者は黄色で、あわせて舌を出す。人に生まれる者は普段の色、もし天に生まれる者は鮮やかな花の色で、その精気の光は愛すべきものである、と。もしそばに付き添って死にゆく者の様子を見ると、あるいは手を挙げて打ち払い、あるいは虚空をつかみ、あるいは白い泡を吐き、あるいは身体をもだえさせ、手足を乱す。この類はみな悪い相だということである。もし柔らかな顔色で、慈愛の相があって命を終える、あるいは合掌し歓喜して正念とかなうなどは、みな善い相だということである。おおよそ善い相の者は善い所に生まれ、悪い相の現れる者は悪趣に入るということである。
解説

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