十善法語 / 巻第五・不綺語戒
父母ノ許ナケレハ。朋友ニ交ラヌ。妻ヲ要ラヌ。父母好マスハ。一切ノ學問文辭。諸ノ技藝。ミナ爲スマシキソ。此爲ヌ處ニ誠ノ學問カ成就スルシヤ。父母カ嫌ハハ。一卷ノ孝經モ手ニ取マシキソ。コノ手ニ取ラヌ處ニ誠ノ孝經アルシヤ。此孝道立テ天ノ福ヲ得ル。昔虞舜ノ玄德升リ聞エテ堯ノ讓ヲ受ケシ。此父母ニ孝ヲ全スル處ニ。四海ノ富。王者ノ位ハ顯ルル。世ニ孝道具テ。而モ貧賤患難ニ身ヲ終ルコトアル。愚ナルモノハ其德ナキヤウニ思フベケレトモ。サウテナイ。正眼ニ看レハ。人人箇箇其德錯ラヌ。但事ニ遲速アリテ。或ハ現在ニ其報ヲ得。或ハ來世ニ其果報ヲ得ル。四海ノ富。王者ノ位ノミナラス。三十三天ガ此孝養ノ中ニ具足スル。梵王宮ガ此孝養ノ中ニ具足スル。帝釋梵王宮ノミナラス。無漏聖道ノ基トナル。
新字:父母ノ許ナケレハ。朋友ニ交ラヌ。妻ヲ要ラヌ。父母好マスハ。一切ノ学問文辞。諸ノ技芸。ミナ為スマシキソ。此為ヌ処ニ誠ノ学問カ成就スルシヤ。父母カ嫌ハハ。一巻ノ孝経モ手ニ取マシキソ。コノ手ニ取ラヌ処ニ誠ノ孝経アルシヤ。此孝道立テ天ノ福ヲ得ル。昔虞舜ノ玄徳升リ聞エテ堯ノ譲ヲ受ケシ。此父母ニ孝ヲ全スル処ニ。四海ノ富。王者ノ位ハ顕ルル。世ニ孝道具テ。而モ貧賤患難ニ身ヲ終ルコトアル。愚ナルモノハ其徳ナキヤウニ思フベケレトモ。サウテナイ。正眼ニ看レハ。人人箇箇其徳錯ラヌ。但事ニ遅速アリテ。或ハ現在ニ其報ヲ得。或ハ来世ニ其果報ヲ得ル。四海ノ富。王者ノ位ノミナラス。三十三天ガ此孝養ノ中ニ具足スル。梵王宮ガ此孝養ノ中ニ具足スル。帝釈梵王宮ノミナラス。無漏聖道ノ基トナル。
書き下し
父母ノ許ナケレハ。朋友ニ交ラヌ。妻ヲ要ラヌ。父母好マスハ。一切ノ学問文辞。諸ノ技芸。ミナ為スマシキソ。此為ヌ処ニ誠ノ学問カ成就スルシヤ。父母カ嫌ハハ。一巻ノ孝経モ手ニ取マシキソ。コノ手ニ取ラヌ処ニ誠ノ孝経アルシヤ。此孝道立テ天ノ福ヲ得ル。昔虞舜ノ玄徳升リ聞エテ堯ノ譲ヲ受ケシ。此父母ニ孝ヲ全スル処ニ。四海ノ富。王者ノ位ハ顕ルル。世ニ孝道具テ。而モ貧賤患難ニ身ヲ終ルコトアル。愚ナルモノハ其徳ナキヤウニ思フベケレトモ。サウテナイ。正眼ニ看レハ。人人箇箇其徳錯ラヌ。但事ニ遅速アリテ。或ハ現在ニ其報ヲ得。或ハ来世ニ其果報ヲ得ル。四海ノ富。王者ノ位ノミナラス。三十三天ガ此孝養ノ中ニ具足スル。梵王宮ガ此孝養ノ中ニ具足スル。帝釈梵王宮ノミナラス。無漏聖道ノ基トナル。
現代語訳
父母の許しがなければ、友と交わらない。妻を娶らない。父母が好まなければ、一切の学問や文辞、諸々の技芸は、みなしてはならない。このしないところに、まことの学問が成就するのである。父母が嫌うなら、一巻の孝経も手に取ってはならない。この手に取らないところに、まことの孝経があるのである。この孝の道が立って、天の福を得る。昔、虞舜の奥深い徳が天に上り聞こえて、堯の位の譲りを受けた。この父母に孝を全うするところに、四海の富、王者の位は現れる。世に孝の道を具えていながら、貧賤や患難の中に身を終えることがある。愚かな者はその徳がないかのように思うだろうが、そうではない。正しい眼で見れば、一人一人その徳は誤らない。ただ事に遅い速いがあって、あるいは現在にその報いを得、あるいは来世にその果報を得る。四海の富や王者の位だけではない。三十三天がこの孝養の中に具わっている。梵王の宮殿がこの孝養の中に具わっている。帝釈や梵王の宮殿だけではない。無漏の聖道の基となる。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下善悪報応ノ空シカラヌコトハ。古今聖賢ノ通義シヤ。易ニ積善ノ家ニハ必ス余慶アリ。積不善ノ家ニハ必ス余殃アリト。看ヨ。世間俗中スラカクアルシヤ。此言カ虚ナラスハ。業果アルモ信セラルル。正知見ニモ近カルヘキシヤ。仮令未タ三世アルコトヲ知ル地位ニ至ラスドモ。邪見トハ云レヌシヤ。又孔子ノ家語ニ。子貢問於孔子曰。死者有知乎。将無知乎。子曰。吾欲言死之有知。将恐孝子順孫妨生以送死。吾欲言死之無知。将恐不孝之子弃其親不葬。賜欲知死者有知与無知。非今之急。後自知之トアル。此等面白キコトシヤ。経中ニモ世尊ハ十八難ヲ答タマハストアル。死後去コトアリ去コトナキハ。自知セシムヘキ趣シヤ。
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論語・学而篇子夏曰く、「賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。」
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『十善法語』巻第九・不瞋恚戒此後偸盗妄語ノミナラス。殺生両舌ノ者アリ。邪婬嫉妬ノ者アリ。人寿又減シテ五千歳トナル此後非法悪貪。諸ノ邪法增上シテ。人寿マタ減シテ二千五百歳トナル。此後悪口綺語ノ者アリ。人寿又減シテ千歳トナル。此後邪見ノ者アリ。善ヲ作シテ善ノ報アルコトヲ信セス。悪ヲ作シテ悪ノ報アルコトヲ信セス。父母ニ孝ヲ作サス。君ニ忠ヲ尽サス。老者ヲ敬ハズ。有徳ヲ尊重セズ。愚者智者ヲ師トセズ。自ラ用ヒ自ラ夸リ。非法ヲ法トシ。非道ニ道ヲ立ル。人寿減シテ五百歳トナリ。二百五十歳トナリ。次第ニ減少シテ一百歳ニ縮マル。此人寿百歳ノ時釈迦如来出世シタマフトアル。
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『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。