師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第三・不邪婬戒

法性カ緣起セサレハ止ネ。緣起スレハ天地トナリ來ル。此天地ノ中ニ男女トナリ來ル。此男女ノ中ニ不邪婬戒不婬戒ノ相トナリ來ルシヤ。要ヲ取テ云ハハ。此男女形相志性ノ差別モ。直爾ニ法性ノ顯レシ姿シヤ。經論ノ中ニ。金口自ラ法相ヲ分別シ給フ。二十二根ノ中。身根ノ小分ニ男女二根ヲ分示ス。ソノ趣ハ世間妄想ノ者ノ知ヘキ所テナイ。唯修禪ノ者此中ニ信解ヲ生シ。聖道ト相應スルシヤ。世間ノ者此男女ノ境ニ種種ノ惡邪法ヲ生スルハ。唯迷者ノ私事シヤ。繩麻ニ蛇相ヲ見ルハ。繩麻ノ咎テナイ。株杭ニ人想ヲ生スルハ。株杭ノ咎テナイ。迷者ハ詮方ナキシヤ。

新字:法性カ縁起セサレハ止ネ。縁起スレハ天地トナリ来ル。此天地ノ中ニ男女トナリ来ル。此男女ノ中ニ不邪婬戒不婬戒ノ相トナリ来ルシヤ。要ヲ取テ云ハハ。此男女形相志性ノ差別モ。直爾ニ法性ノ顕レシ姿シヤ。経論ノ中ニ。金口自ラ法相ヲ分別シ給フ。二十二根ノ中。身根ノ小分ニ男女二根ヲ分示ス。ソノ趣ハ世間妄想ノ者ノ知ヘキ所テナイ。唯修禅ノ者此中ニ信解ヲ生シ。聖道ト相応スルシヤ。世間ノ者此男女ノ境ニ種種ノ悪邪法ヲ生スルハ。唯迷者ノ私事シヤ。縄麻ニ蛇相ヲ見ルハ。縄麻ノ咎テナイ。株杭ニ人想ヲ生スルハ。株杭ノ咎テナイ。迷者ハ詮方ナキシヤ。

書き下し

法性カ縁起セサレハ止ネ。縁起スレハ天地トナリ来ル。此天地ノ中ニ男女トナリ来ル。此男女ノ中ニ不邪婬戒不婬戒ノ相トナリ来ルシヤ。要ヲ取テ云ハハ。此男女形相志性ノ差別モ。直爾ニ法性ノ顕レシ姿シヤ。経論ノ中ニ。金口自ラ法相ヲ分別シ給フ。二十二根ノ中。身根ノ小分ニ男女二根ヲ分示ス。ソノ趣ハ世間妄想ノ者ノ知ヘキ所テナイ。唯修禅ノ者此中ニ信解ヲ生シ。聖道ト相応スルシヤ。世間ノ者此男女ノ境ニ種種ノ悪邪法ヲ生スルハ。唯迷者ノ私事シヤ。縄麻ニ蛇相ヲ見ルハ。縄麻ノ咎テナイ。株杭ニ人想ヲ生スルハ。株杭ノ咎テナイ。迷者ハ詮方ナキシヤ。

現代語訳

法性は、縁起しなければそれまでである。縁起すれば天地となって現れてくる。この天地の中に男女となって現れてくる。この男女の中に不邪婬戒・不婬戒の相となって現れてくるのである。要点を取って言えば、この男女の形や姿、志や性質の違いも、そのまま法性が現れた姿なのである。経論の中で、仏が自らその金口(仏の口)で諸法の相を分別しておられる。二十二根(心身の働きの二十二の根本)の中で、身根の一部分として男根・女根の二根を分けて示す。その趣旨は、世間の妄想にとらわれた者が知ることのできるところではない。ただ禅を修める者だけがこの中に信と理解を生じ、聖なる道と相応するのである。世間の者がこの男女の境にさまざまな悪しき邪な事を生じるのは、ただ迷う者の私事である。縄や麻を見て蛇の姿を見るのは、縄や麻の咎ではない。切り株や杭に人の姿を思い浮かべるのは、切り株や杭の咎ではない。迷う者はどうしようもないのである。

解説

男女の違いそのものは汚れたものではなく、法性が縁起して現れた姿だと慈雲は説く。二十二根は倶舎論などで説かれる心身の働きの分類で、男根・女根はその中に数えられている。悪いのは男女という境そのものではなく、そこに邪なものを生み出す迷いの側だというのである。縄を蛇と見間違えるのは縄の罪ではない、という譬えは仏教でよく用いられる。問題を相手や対象のせいにせず、自分の見方の歪みに目を向けるという視点は、人間関係のもつれを考えるときにも役立つ。

この章句が説くこと

法性縁起迷い二十二根修禅

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる