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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

又一類ノ書生カ論語孟子ヲ讀ミ。宋儒性理ノ學ヲ信ス。或時一ノ禪者ニ遇テ。些子ノ消息ヲ聞テ。一省省發スト思フ。其後孟子ノ浩然ノ氣。中庸ノ上天ノ載ハ無聲無臭ト云。鳶飛テ天ニ戾リ魚淵ニ躍ルト云モ。相應スル樣ニ覺エ。論語ノ天何ヲカ言ヤ。四時行ハレ。百物生スト云。曾點カ沂ニ浴シ。舞雩ニ風シテ。詠シテ歸ント云モ。相應スルヤウニ覺エ。聖賢ノ地位モ外ナラヌト思フ。此者カ後ニ先生ト成テ他ヲ導クニ。此妙處ハ佛法モ儒道モ違ハナケレトモ。儒者ニハ身ヲ修シテ家ヲ齊ヘ天下ニ平ニスル道アル。佛法ニハコレ無ニ因テ。唯儒道ノミ全キ道ト。其至テ憐ムヘキコトハ。艸木國土悉皆成佛ト云ヲ聞テ僻解ヲ生シ。禪家ノ三種病ノ則ヲ看テ妄想ヲ長スル類ト云コトシヤ。

新字:又一類ノ書生カ論語孟子ヲ読ミ。宋儒性理ノ学ヲ信ス。或時一ノ禅者ニ遇テ。些子ノ消息ヲ聞テ。一省省発スト思フ。其後孟子ノ浩然ノ気。中庸ノ上天ノ載ハ無声無臭ト云。鳶飛テ天ニ戻リ魚淵ニ躍ルト云モ。相応スル様ニ覚エ。論語ノ天何ヲカ言ヤ。四時行ハレ。百物生スト云。曽点カ沂ニ浴シ。舞雩ニ風シテ。詠シテ帰ント云モ。相応スルヤウニ覚エ。聖賢ノ地位モ外ナラヌト思フ。此者カ後ニ先生ト成テ他ヲ導クニ。此妙処ハ仏法モ儒道モ違ハナケレトモ。儒者ニハ身ヲ修シテ家ヲ斉ヘ天下ニ平ニスル道アル。仏法ニハコレ無ニ因テ。唯儒道ノミ全キ道ト。其至テ憐ムヘキコトハ。艸木国土悉皆成仏ト云ヲ聞テ僻解ヲ生シ。禅家ノ三種病ノ則ヲ看テ妄想ヲ長スル類ト云コトシヤ。

書き下し

又一類ノ書生カ論語孟子ヲ読ミ。宋儒性理ノ学ヲ信ス。或時一ノ禅者ニ遇テ。些子ノ消息ヲ聞テ。一省省発スト思フ。其後孟子ノ浩然ノ気。中庸ノ上天ノ載ハ無声無臭ト云。鳶飛テ天ニ戻リ魚淵ニ躍ルト云モ。相応スル様ニ覚エ。論語ノ天何ヲカ言ヤ。四時行ハレ。百物生スト云。曽点カ沂ニ浴シ。舞雩ニ風シテ。詠シテ帰ント云モ。相応スルヤウニ覚エ。聖賢ノ地位モ外ナラヌト思フ。此者カ後ニ先生ト成テ他ヲ導クニ。此妙処ハ仏法モ儒道モ違ハナケレトモ。儒者ニハ身ヲ修シテ家ヲ斉ヘ天下ニ平ニスル道アル。仏法ニハコレ無ニ因テ。唯儒道ノミ全キ道ト。其至テ憐ムヘキコトハ。艸木国土悉皆成仏ト云ヲ聞テ僻解ヲ生シ。禅家ノ三種病ノ則ヲ看テ妄想ヲ長スル類ト云コトシヤ。

現代語訳

また、ある種の書生が論語や孟子を読み、宋代の儒者の性理の学を信じていた。ある時、一人の禅者に出会って、わずかな悟りの消息を聞き、はっと目覚めたと思った。その後、孟子の浩然の気や、中庸の「上天の営みは声もなく香りもない」、「鳶は飛んで天に至り、魚は淵に躍る」という言葉も、(自分の悟りに)相応するように思い、論語の「天は何を言うだろうか。四季は巡り、万物は生じる」や、曾点が「沂水で水浴びし、舞雩の台で風に吹かれ、歌いながら帰りたい」と言ったのも相応するように思って、聖賢の境地もこれにほかならないと思う。この者が後に先生となって他人を導く時に、この妙なるところは仏法も儒道も違いはないが、儒者には身を修めて家を整え天下を平らかにする道がある、仏法にはこれが無いから、ただ儒道だけが完全な道だ、と言う。その至って憐れむべきことは、草木国土悉皆成仏というのを聞いて偏った理解を生じ、禅家の三種病の公案を見て妄想を増す類だ、ということである。

解説

儒学を学んだ書生が、禅僧からわずかな手ほどきを受けて悟ったと思い込み、孟子の浩然の気や中庸・論語の名句をことごとく自分の体験に重ね合わせる姿を描く段である。やがて先生となると、悟りの境地は儒仏同じだが、身を修め家を整え天下を平らかにする道がある分だけ儒道が上だと説く。尊者は、草木国土悉皆成仏という教えや禅の公案を浅く取って妄想を増す類だとして憐れむ。わずかな体験を古典の名句に次々と重ねて、すべてを分かった気になる危うさは、学びを深めようとする人なら誰もが通る落とし穴である。

この章句が説くこと

儒道浩然の気中庸悟り妄想

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