十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
一多元來不二ナレハ。一戒ノ中ニ諸戒ヲ具ス。人道立テ萬事ミナ調フ。本末元來不二ナレハ。心ヲ用フレハ何ノ處ニモ誠ノ道ハ顯ルルシヤ。仁義ヲ說モ可ナリ。佛戒ヲ說モ可ナリ。其淺深ヲ云ハ云者ノ淺深シヤ。其得失ヲ說ハ說者ノ得失シヤ。此ニハ且ク近古ノ知ラスシテ妄ニ評判スル者共ノ爲ニ。內道外教ヲ對辨シテ云マテノコトシヤ。本來道ハ內外ナイ。唯內外ヲ見ル者ノ內外シヤ。
新字:一多元来不二ナレハ。一戒ノ中ニ諸戒ヲ具ス。人道立テ万事ミナ調フ。本末元来不二ナレハ。心ヲ用フレハ何ノ処ニモ誠ノ道ハ顕ルルシヤ。仁義ヲ説モ可ナリ。仏戒ヲ説モ可ナリ。其浅深ヲ云ハ云者ノ浅深シヤ。其得失ヲ説ハ説者ノ得失シヤ。此ニハ且ク近古ノ知ラスシテ妄ニ評判スル者共ノ為ニ。内道外教ヲ対弁シテ云マテノコトシヤ。本来道ハ内外ナイ。唯内外ヲ見ル者ノ内外シヤ。
書き下し
一多元来不二ナレハ。一戒ノ中ニ諸戒ヲ具ス。人道立テ万事ミナ調フ。本末元来不二ナレハ。心ヲ用フレハ何ノ処ニモ誠ノ道ハ顕ルルシヤ。仁義ヲ説モ可ナリ。仏戒ヲ説モ可ナリ。其浅深ヲ云ハ云者ノ浅深シヤ。其得失ヲ説ハ説者ノ得失シヤ。此ニハ且ク近古ノ知ラスシテ妄ニ評判スル者共ノ為ニ。内道外教ヲ対弁シテ云マテノコトシヤ。本来道ハ内外ナイ。唯内外ヲ見ル者ノ内外シヤ。
現代語訳
一と多はもともと二つではないので、一つの戒の中に諸々の戒を具える。人の道が立って万事がみな整う。本と末はもともと二つではないので、心を用いればどこにもまことの道は顕れるのである。仁義を説くのもよい。仏戒を説くのもよい。その浅深を言うならば、言う者の浅深である。その得失を説くならば、説く者の得失である。ここではしばらく、近古の知らずにみだりに評判する者どものために、内道(仏教)と外教(儒教など)を対比して弁じて言うまでのことである。本来、道には内も外もない。ただ内外を見る者にとっての内外なのである。
解説

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