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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

要ヲ取テイハハ。一切惡トシテ十惡業ニモルルコトハナク。一切善トシテ十善業ニモルルコトハナク。一切戒法トシテ此十善戒ニ漏ルルコトハナキシヤ。五戒八戒ト云モ此戒ノ支分シヤ。沙彌戒大比丘戒ト云モ此十善ノ體相シヤ。經中ニ二百五十。五百。三千威儀ト云モ。出家タルヘキ軌則ヲ守リ。諸ノ賢聖ノ行儀ヲ全クスルニ。此條目ノ分ルルコトニテ。本體ハ此十善シヤ。菩薩ノ輕重戒乃至八萬威儀ナトトアルモ。別事テナキシヤ。出家人ハ賢聖生ノ威儀法則ヲ違ヘス。此十善ヲ全クセハ人間天上ノ師範トナルヘク。在家ハ各各其國ニ在テ其國法ヲ守リ。其家ニ在テ其家法ヲ改メス。此十善ヲ全クセハ。其身ヲ修メ。其家ヲ齊ヘ。其國ヲ平治スルニ餘リアルヘキシヤ。人人箇箇賢聖ノ地位ニモ入ヘク。次第ニ滿足スレハ。佛身ト合一スル時節ノ有ヘキコトシヤ。

新字:要ヲ取テイハハ。一切悪トシテ十悪業ニモルルコトハナク。一切善トシテ十善業ニモルルコトハナク。一切戒法トシテ此十善戒ニ漏ルルコトハナキシヤ。五戒八戒ト云モ此戒ノ支分シヤ。沙弥戒大比丘戒ト云モ此十善ノ体相シヤ。経中ニ二百五十。五百。三千威儀ト云モ。出家タルヘキ軌則ヲ守リ。諸ノ賢聖ノ行儀ヲ全クスルニ。此条目ノ分ルルコトニテ。本体ハ此十善シヤ。菩薩ノ軽重戒乃至八万威儀ナトトアルモ。別事テナキシヤ。出家人ハ賢聖生ノ威儀法則ヲ違ヘス。此十善ヲ全クセハ人間天上ノ師範トナルヘク。在家ハ各各其国ニ在テ其国法ヲ守リ。其家ニ在テ其家法ヲ改メス。此十善ヲ全クセハ。其身ヲ修メ。其家ヲ斉ヘ。其国ヲ平治スルニ余リアルヘキシヤ。人人箇箇賢聖ノ地位ニモ入ヘク。次第ニ満足スレハ。仏身ト合一スル時節ノ有ヘキコトシヤ。

書き下し

要ヲ取テイハハ。一切悪トシテ十悪業ニモルルコトハナク。一切善トシテ十善業ニモルルコトハナク。一切戒法トシテ此十善戒ニ漏ルルコトハナキシヤ。五戒八戒ト云モ此戒ノ支分シヤ。沙弥戒大比丘戒ト云モ此十善ノ体相シヤ。経中ニ二百五十。五百。三千威儀ト云モ。出家タルヘキ軌則ヲ守リ。諸ノ賢聖ノ行儀ヲ全クスルニ。此条目ノ分ルルコトニテ。本体ハ此十善シヤ。菩薩ノ軽重戒乃至八万威儀ナトトアルモ。別事テナキシヤ。出家人ハ賢聖生ノ威儀法則ヲ違ヘス。此十善ヲ全クセハ人間天上ノ師範トナルヘク。在家ハ各各其国ニ在テ其国法ヲ守リ。其家ニ在テ其家法ヲ改メス。此十善ヲ全クセハ。其身ヲ修メ。其家ヲ斉ヘ。其国ヲ平治スルニ余リアルヘキシヤ。人人箇箇賢聖ノ地位ニモ入ヘク。次第ニ満足スレハ。仏身ト合一スル時節ノ有ヘキコトシヤ。

現代語訳

要点をつかんで言えば、一切の悪として十悪業に漏れるものはなく、一切の善として十善業に漏れるものはなく、一切の戒法として、この十善戒に漏れるものはないのである。五戒・八戒というのも、この戒の枝分かれである。沙弥戒や大比丘戒というのも、この十善の本体と姿である。経の中に二百五十、五百、三千の威儀というのも、出家としてのきまりを守り、諸々の賢聖の行いを全うするために、この条目が分かれたことであって、本体はこの十善である。菩薩の軽戒・重戒、さらには八万の威儀などとあるのも、別のことではないのである。出家の人は賢聖の生き方の威儀や法則を違えず、この十善を全うすれば、人間界と天上界の師範となるはずである。在家はそれぞれその国にあってその国の法を守り、その家にあってその家の法を改めず、この十善を全うすれば、その身を修め、その家を整え、その国を平らかに治めるのに余りがあるはずである。一人一人が賢聖の位にも入ることができ、次第に満ち足りていけば、仏の身と一つになる時があるはずのことである。

解説

全十二巻の結びである。一切の悪は十悪に、一切の善は十善に収まり、五戒・八戒も、比丘の二百五十戒も、菩薩戒も八万の威儀も、みな十善から枝分かれしたものだと尊者は総括する。出家はこれを全うして人天の師となり、在家は国の法と家の法を守りつつ十善を全うすれば、大学の説く修身・斉家・治国に余りあると言う。第一巻で人の人たる道として始まった十善は、ここで仏身との合一にまで至る。どんな立場でも、足元の十の約束を守り続けることが道の全体だという結びである。

この章句が説くこと

十善修身斉家治国仏身

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