十善法語 / 巻第五・不綺語戒
眞正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。出家ハ出家ノ有通リヲ全シテ四威儀法ニ相應スヘク。在家ハ在家ノアリ通リヲ全シテ內心法ニ隨順スヘシ。在家ノ中ニ。尊貴ノ人ハ尊貴ノ有通リヲ全シテ法ニ隨順スヘク。下賤ノ者ハ下賤ノ有通リヲ全シテ法ニ隨順スヘシ。男子ハ男子ノ有通リ。女子ハ女子ノ有通リヲ全シテ志ヲ立ヘキシヤ。若大人タル者此戒ヲ全クセントナラハ。カウシヤ。周ノ世ニ武王既ニ崩シ。成王幼シ。周公旦政ヲ攝ス。或時成王其弟叔虞ト共ニ園ニ出テ遊フ。戯ニ桐葉ヲ剪リ。珪ノ形ニ作リ。叔虞ニ與ヘ。是ヲ以テ爾ヲ封スト。叔虞喜テ此ヲ周公ニ告ク。周公衣冠ヲ正シテ入テ賀ス。成王云戲ナリト。周公云。天子ニ戯言ナシ。遂ニ弟ヲ唐ニ封ス。成王此後戯ナカリシト云コトシヤ。
新字:真正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。出家ハ出家ノ有通リヲ全シテ四威儀法ニ相応スヘク。在家ハ在家ノアリ通リヲ全シテ内心法ニ随順スヘシ。在家ノ中ニ。尊貴ノ人ハ尊貴ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘク。下賤ノ者ハ下賤ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘシ。男子ハ男子ノ有通リ。女子ハ女子ノ有通リヲ全シテ志ヲ立ヘキシヤ。若大人タル者此戒ヲ全クセントナラハ。カウシヤ。周ノ世ニ武王既ニ崩シ。成王幼シ。周公旦政ヲ摂ス。或時成王其弟叔虞ト共ニ園ニ出テ遊フ。戯ニ桐葉ヲ剪リ。珪ノ形ニ作リ。叔虞ニ与ヘ。是ヲ以テ爾ヲ封スト。叔虞喜テ此ヲ周公ニ告ク。周公衣冠ヲ正シテ入テ賀ス。成王云戯ナリト。周公云。天子ニ戯言ナシ。遂ニ弟ヲ唐ニ封ス。成王此後戯ナカリシト云コトシヤ。
書き下し
真正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。出家ハ出家ノ有通リヲ全シテ四威儀法ニ相応スヘク。在家ハ在家ノアリ通リヲ全シテ内心法ニ随順スヘシ。在家ノ中ニ。尊貴ノ人ハ尊貴ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘク。下賤ノ者ハ下賤ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘシ。男子ハ男子ノ有通リ。女子ハ女子ノ有通リヲ全シテ志ヲ立ヘキシヤ。若大人タル者此戒ヲ全クセントナラハ。カウシヤ。周ノ世ニ武王既ニ崩シ。成王幼シ。周公旦政ヲ摂ス。或時成王其弟叔虞ト共ニ園ニ出テ遊フ。戯ニ桐葉ヲ剪リ。珪ノ形ニ作リ。叔虞ニ与ヘ。是ヲ以テ爾ヲ封スト。叔虞喜テ此ヲ周公ニ告ク。周公衣冠ヲ正シテ入テ賀ス。成王云戯ナリト。周公云。天子ニ戯言ナシ。遂ニ弟ヲ唐ニ封ス。成王此後戯ナカリシト云コトシヤ。
現代語訳
真正にこの戒を護持する者は、出家は出家のありのままを全うして四威儀(行住坐臥)が法にかなうようにし、在家は在家のありのままを全うして内心が法に随うようにしなさい。在家の中でも、尊貴な人は尊貴なありのままを全うして法に随い、身分の低い者は身分の低いありのままを全うして法に随いなさい。男子は男子のありのまま、女子は女子のありのままを全うして志を立てるべきである。もし大人である者がこの戒を全うしようとするなら、こうである。周の世に武王が崩御し、成王は幼く、周公旦が政治を代行した。ある時、成王が弟の叔虞とともに庭に出て遊んだ。戯れに桐の葉を切って珪(諸侯に与える玉)の形に作り、叔虞に与えて、これでおまえを諸侯に封じる、と言った。叔虞は喜んでこれを周公に告げた。周公は衣冠を正して参内し祝った。成王が戯れだと言うと、周公は、天子に戯れの言葉はありません、と言った。こうしてついに弟を唐に封じた。成王はこの後、戯れることがなかったということである。
解説
この章句が説くこと
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