十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中
百丈禪師ノ埀語ニカウシタコトカアル。人ノ命終ノトキ。一生所有善惡ノ業緣悉ク現前ス。或ハ忻ヒ或ハ怖ル。六道モ五薀モ倶時ニ現前ス。舍宅ヲ見ル。舟船車輿ヲ見ル。光明顯赫タルヲ見ル。此ハ自心ノ貪愛ヨリ現スル一切ノ惡境モ。ソノトキ皆變シテ嚴好ノ境ト成ル。但愛ノ重キ處ニ隨ヒ。業識ニヒカレ。着スルニ隨テ生ヲ受ル。都テ自由ノ分ナシ。龍畜良賤モ亦總未定ト。此埀語ハ面白キコトシヤ。此中ニ爲人埀手ノ手段モアレトモ。大抵カク有ヘキコトシヤ。傳戒相承ノ義ニ此趣有シヤ。
新字:百丈禅師ノ埀語ニカウシタコトカアル。人ノ命終ノトキ。一生所有善悪ノ業縁悉ク現前ス。或ハ忻ヒ或ハ怖ル。六道モ五薀モ倶時ニ現前ス。舎宅ヲ見ル。舟船車輿ヲ見ル。光明顕赫タルヲ見ル。此ハ自心ノ貪愛ヨリ現スル一切ノ悪境モ。ソノトキ皆変シテ厳好ノ境ト成ル。但愛ノ重キ処ニ随ヒ。業識ニヒカレ。着スルニ随テ生ヲ受ル。都テ自由ノ分ナシ。竜畜良賤モ亦総未定ト。此埀語ハ面白キコトシヤ。此中ニ為人埀手ノ手段モアレトモ。大抵カク有ヘキコトシヤ。伝戒相承ノ義ニ此趣有シヤ。
書き下し
百丈禅師ノ埀語ニカウシタコトカアル。人ノ命終ノトキ。一生所有善悪ノ業縁悉ク現前ス。或ハ忻ヒ或ハ怖ル。六道モ五薀モ倶時ニ現前ス。舎宅ヲ見ル。舟船車輿ヲ見ル。光明顕赫タルヲ見ル。此ハ自心ノ貪愛ヨリ現スル一切ノ悪境モ。ソノトキ皆変シテ厳好ノ境ト成ル。但愛ノ重キ処ニ随ヒ。業識ニヒカレ。着スルニ随テ生ヲ受ル。都テ自由ノ分ナシ。竜畜良賤モ亦総未定ト。此埀語ハ面白キコトシヤ。此中ニ為人埀手ノ手段モアレトモ。大抵カク有ヘキコトシヤ。伝戒相承ノ義ニ此趣有シヤ。
現代語訳
百丈禅師の垂語(教示の言葉)にこういうことがある。「人が命を終える時、一生の間にあった善悪の業縁がことごとく目の前に現れる。あるいは喜び、あるいは怖れる。六道も五蘊も同時に現れる。家屋を見る。舟や車や輿を見る。光明が輝かしく照るのを見る。これは自分の心の貪愛から現れるもので、一切の悪しき境も、その時はみな変わって美しく好ましい境となる。ただ愛着の重い所に従い、業の識に引かれ、執着するに従って生を受ける。まったく自由になる分はない。龍になるか畜生になるか、良民となるか賤民となるかも、まだすべて定まってはいない」と。この垂語は面白いことである。この中には人のために手を差し伸べる手立ての面もあるけれども、おおよそこうあるべきことである。伝戒相承の義にもこの趣がある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中聖教ノ文ニモ有シヤ。死スルトキ刀風アリ。内ヨリ発シテ其支節ヲ解ス。頭上ヨリ脚下ニ至リ大苦痛ヲ生ス。心識悟味ニシテ諸根守ヲ失フ。此時一生作セシ所ノ善悪ノ業相。其目前ニアラハルルコト。市ニ入テ諸ノ器財ヲ見ル如シ。其諸業ノ中ニ强キ者先牽ク。其業相ノ現スル。若ハ順若ハ逆。一定シ難シ。或ハ魔来テ相ヲ現スル。好相モ取ヘカラス。或ハ思想転変シテ種種ノ異相ヲ見ル。若ハ恐怖ノ境界。若ハ適悅ノ境界。ミナ其取捨ヲ云ヘカラス。唯正知見ノ人ノミ有テ。法ニ自在ヲ得ルト云コトシヤ。
-
『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中又経ニ此説アルシヤ。臨死ノ人面上ニ五色ノ風アリ。若地獄ニ入者ハ黒色。若畜生ニ生スル者ハ青色。若餓鬼ニ生スル者ハ黄色。兼テ舌ヲ出ス。人ニ生スル者ハ常色。若天ニ生スル者ハ鮮花色。精光愛スベシト。若側ニ侍テ死者ノ相ヲ看ルニ。或ハ手ヲ挙テ打払ヒ。或ハ虚空ヲ攫ミ。或ハ白沫ヲ吐キ。或ハ身体煩悶シ。手足撩乱スル。此類ミナ悪相ナルト云コトシヤ。若柔軽ノ顔色。慈愛ノ相有テ命終ス。若ハ合掌歓喜シテ正念相応スル等ハ。ミナ善相ナルト云コトシヤ。大抵ハ善相ナル者ハ善処ニ生シ。悪相アラハルル者ハ悪趣ニ入ト云コトシヤ。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上鮑性泉カ此ヲ評判シテ。同シ様ナル蛭カ同シ様ナル死ナレトモ。初ハ自業自得ノ死ナル故ニ。蜻蜓ニ化シ去ル。蜻蜓ト水蛭トハ同シ虫ナレトモ。其位異ナリ。水蛭ハ重濁遅鈍ノ者。蜻蜓ハ空中ニ飛行シテ軽清自在ナル者。其業力ノ純熟。期セスシテ然リ。後ノ蛭ハ人故ニ殺サレテ。嗔恚相応ノ死ナル故。人ニ害アル蜈蚣ニ成ル。蜈蚣ハ蜻蜓ニ視フレハ毫釐千里ナリ。此一念ノ嗔心。其ママ毒物ニ化スル。臨終ノ一念ニ由テ。浄土ニモ生シ悪趣ニモ入ルコト。決定此理アリ。蔵識体ナシ。縁ニ従テ相ヲ現ス。業ニ定性ナシ。刹那ニ変易スト。此居士ハ法ニ志有テ。雲棲株宏天台宗ノ智旭等ト互ニ相唱和セシ人ニテ。自ラ死期ヲ知テ。預メ其子ニ命シテ。其日ニ斎ヲ設ケ。親族朋友ヲ請シ。斎了テ禅定ニ入ル如ク終ヲ取シトアル。可憐生ナルモノナレトモ。此見処ハ常見有相執着ノ妄想ニテ。正法知見ニハ遠シテ遠イ。生死ノ道理ハカクアルコトデナイ。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上其常見ト云ハ。一類世智弁聰ノ者カ思惟度量スルニ。胸ノ中ニアハラ骨ノ間ニ。昭昭霊霊タル物カ一物アル。様ニ覚ルシヤ。死スル時ニハ。若ハ目ヨリ若ハ鼻ヨリ飛去テ。人間ニモアレ。天上ニモアレ。畜生ニモアレ。縁ニ随テ其処ニ生ヲ受ルコト。譬ヘハ舟ニ乗ル者ノ輿ニ乗リウツル如ク。窮民ノ此屋ヲ出テテ彼家ニ往キ住スル如クト。マツ通途ノ常見ハカウシヤ。此ハ極下劣ノ見ナレトモ。禅定智見カナキモノハ。出家モ在家モ此見ヲ出ヌ。博学座主ノ口ニハ唯識ノ理ヲ微細ニ云者モ。一乗円頓ノ趣ヲ精ク講スル者モ。内心ハ多ク此見ニ住ス。霊利衲子ノ古則公案ヲ判断シ。或ハ些子ノ消息ヲ面白ク言ヒマハス者モ。内心ハ多ク此見ニ居ル。憐ムヘキコトシヤ。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又一類世智弁聰ノ中ニ。此見処ノ者カアル。一切ノ法ハ有ト思ヘハ有シヤ。無ト思ヘハ無シヤ。一念心上ニ執着アレハ多生ノ生死ノ業トナル。好鉢ニ念ヲ残セシ者カ餓鬼トナリ来テ鉢ヲ舐ル。瓜ヲ踏テ追悔セシ者カ悪趣ニ入テ蛙ニ責ラルル。一念心上ニ前後際断スレハ。見聞覚知ノ境カ皆解脱知見トナリ来ル。本来無一物ノ処ニ地獄モナク天堂モナイ。三世不可得ノ場処ニ何ノ業カ有ルヘキト云。是モ麁相ニ聞ケハ。高キコト面白キコトノ様ナレトモ。無理シヤ。前ノ鮑性泉ハ真ノ道ニコソ遠ケレ。正直ニテヨキカ。此ハ一向ニ目ニ見シコトモナクテ。妄ニ言ヒ出スニ由テ。更ニ謬ル。志アラン人ハヨク思テ看ヨ。イカホトニ無ト思ヒ定ルトモ。目前ノ畳席柱天井障子カナクナル物ニ非ス。或ハイソ辺ノ石有テ船ヲ寄スルニ便ナラヌニ。此石ヲ無クスレハ世人渡海運送ノ助トナル故。無ト思テ無ニ成ルコトナラハ。無シテヤリタキモノナレトモ。サウナル物ナラス。
-
『驢鞍橋』卷下午の十月三日、臨終の僧に示して曰く、死しめされても、大事をりないぞ。まだ二十年三十年生きて修しめされたりとも、易ること有るべからす、我も八十迄生きたれども、何の変もなし。乍去我は慥に種は取つた也。其方も只種を失はじときつと守り終るべし。前は地獄へも何くへも行け、体は何たる体にもなれ、何と成ても大事をりないそ。我も人も只種を失はずして、出ては修し修すること也。昔も実に隙の明きたるは、釈迦御一人なるべし。其外の祖師殊に我朝の伝教、弘法、まだ仏境界には遥なるべし。心安く思ひめされよ。少し計りなからへたりとも、何の変も有るべからす。畢竟命は因果次第也。我知る処に非す。扨て種は我次第也。强く眼を着け、万事を放下して、正しく守り終るべしと有りければ、病僧正念にして逝去す。