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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

性相學者ノ無性有情ナクハ。最後ノ佛。化他ノ德ヲ關ヘシト云ヲ見テ。義解會通ノ分齊ヲ知ル。教者ノ如來性惡ヲ斷セハ。普現色身何ニ由テ現セント云ヲ聞テ。分教開宗ノ差排ヲ知ル。孟子荀子ノ書ヲ看テ。辨論時ニ用ナキヲ知ル。張儀蘇秦等カ遊說ヲ看テ。利口ノ邦家ヲ覆カヘスヲ知ル。申子韓非子カ刑名法術ノ書ヲ看テ。世智ノ世ヲ亂スヲ知ル。司馬相如謝靈運カ風ヲ看テ。文章ノ實義ニソムクヲ知ル。楊雄王通カ學ヲ看テ。摸擬ノ德ヲ亂ルヲ知ル。宋儒カ歷代君臣ヲ褒貶セシヲ看テ。書生ノ時宜ニ味キヲ知ル。梁湘東王ノ戎服シテ老子ヲ講スト云ヲ看テ。博識ノ時宜ヲ害スルヲ知ル。千般萬般。凡夫ノナストコロハ唯コレ凡夫行シテ。凡夫ノ思ヒ慮ル所ハ唯コレ妄想ソ。自ラ分ヲ知リ。自ノ業果ヲ信スルニハ如ヌシヤ。

新字:性相学者ノ無性有情ナクハ。最後ノ仏。化他ノ徳ヲ関ヘシト云ヲ見テ。義解会通ノ分斉ヲ知ル。教者ノ如来性悪ヲ断セハ。普現色身何ニ由テ現セント云ヲ聞テ。分教開宗ノ差排ヲ知ル。孟子荀子ノ書ヲ看テ。弁論時ニ用ナキヲ知ル。張儀蘇秦等カ遊説ヲ看テ。利口ノ邦家ヲ覆カヘスヲ知ル。申子韓非子カ刑名法術ノ書ヲ看テ。世智ノ世ヲ乱スヲ知ル。司馬相如謝霊運カ風ヲ看テ。文章ノ実義ニソムクヲ知ル。楊雄王通カ学ヲ看テ。摸擬ノ徳ヲ乱ルヲ知ル。宋儒カ歴代君臣ヲ褒貶セシヲ看テ。書生ノ時宜ニ味キヲ知ル。梁湘東王ノ戎服シテ老子ヲ講スト云ヲ看テ。博識ノ時宜ヲ害スルヲ知ル。千般万般。凡夫ノナストコロハ唯コレ凡夫行シテ。凡夫ノ思ヒ慮ル所ハ唯コレ妄想ソ。自ラ分ヲ知リ。自ノ業果ヲ信スルニハ如ヌシヤ。

書き下し

性相学者ノ無性有情ナクハ。最後ノ仏。化他ノ徳ヲ関ヘシト云ヲ見テ。義解会通ノ分斉ヲ知ル。教者ノ如来性悪ヲ断セハ。普現色身何ニ由テ現セント云ヲ聞テ。分教開宗ノ差排ヲ知ル。孟子荀子ノ書ヲ看テ。弁論時ニ用ナキヲ知ル。張儀蘇秦等カ遊説ヲ看テ。利口ノ邦家ヲ覆カヘスヲ知ル。申子韓非子カ刑名法術ノ書ヲ看テ。世智ノ世ヲ乱スヲ知ル。司馬相如謝霊運カ風ヲ看テ。文章ノ実義ニソムクヲ知ル。楊雄王通カ学ヲ看テ。摸擬ノ徳ヲ乱ルヲ知ル。宋儒カ歴代君臣ヲ褒貶セシヲ看テ。書生ノ時宜ニ味キヲ知ル。梁湘東王ノ戎服シテ老子ヲ講スト云ヲ看テ。博識ノ時宜ヲ害スルヲ知ル。千般万般。凡夫ノナストコロハ唯コレ凡夫行シテ。凡夫ノ思ヒ慮ル所ハ唯コレ妄想ソ。自ラ分ヲ知リ。自ノ業果ヲ信スルニハ如ヌシヤ。

現代語訳

性相学者(法相の学者)が「無性の有情(仏になる性をもたない衆生)がいなければ、最後の仏は他を教化する徳を欠くことになるだろう」と言うのを見て、教義を解釈し辻褄を合わせることの限界を知る。教相の学者が「如来が性悪を断じてしまえば、あまねく身を現すことが何によってできようか」と言うのを聞いて、教えを分け宗を開く際のはからいを知る。孟子や荀子の書を見て、弁論が時に役立たないことを知る。張儀や蘇秦らの遊説を見て、口のうまさが国家を覆すことを知る。申不害や韓非子の刑名法術の書を見て、世俗の知恵が世を乱すことを知る。司馬相如や謝霊運の文風を見て、文章が実の意義に背くことを知る。揚雄や王通の学問を見て、模倣が徳を乱すことを知る。宋の儒者が歴代の君臣を褒めたりけなしたりしたのを見て、書生が時宜に暗いことを知る。梁の湘東王が軍服を着て老子を講じたというのを見て、博識が時宜を害することを知る。千般万般、凡夫のすることはただ凡夫の行いであり、凡夫の思い巡らすことはただ妄想である。自ら分を知り、自らの業の果を信じることに及ぶものはないのである。

解説

尊者が諸学の限界を一つ一つ示す段である。仏教の精緻な教理にも辻褄合わせのはからいがあり、孟子・荀子の弁論、張儀・蘇秦の遊説、申不害・韓非子の法術、司馬相如・謝霊運の美文、揚雄・王通の模倣、宋儒の人物評、湘東王の博識と、中国の名だたる学問や文章にもそれぞれの弊があると言う。湘東王は後の梁の元帝で、敵に囲まれる中でも老子の講義を続けたと伝えられる。凡夫の知恵はどこまでも凡夫の妄想であるから、分を知り、自分の行いの報いを信じるのが一番だという結論は、知識を積むほど謙虚さを求める教えである。

この章句が説くこと

業果妄想凡夫韓非子蘇秦

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