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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

身三口四意三ノ理ニ順スルヲ十善業ト云。理ニ背クヲ十不善業ト云。理ニ順スルト云ハ別ノコトテハナイ。自ラ本性ノ通リ少モ增減ナキコトシヤ。本性ニ身口意相應スレハ。十善自ラ全キシヤ。理ニ背クト云モ別ノコトテハナイ。唯コノ私意シヤ。私意ヲ以テ本性ヲ增減スルカ。謂ユル惡シヤ。此私アル身口意業ヲ十惡ト云。佛性ハ善惡共ニ妨ケヌモノナレトモ。善ハ常ニ佛性ニ順スル。惡ハ常ニ佛性ニ背クシヤ。不殺生。不偸盜不邪婬。是ヲ身ノ三善業ト云。佛性ニ順スルシヤ。殺生シ。偸盜シ。邪婬ヲ行スルヲ。身ノ三惡業ト名ツクル。是ハ佛性ニ背クシヤ。不妄語不綺語不惡口不兩舌是ヲ口ノ四善業ト云。佛性ニ順スル。妄語ヲ言ヒ。綺語ヲ好ミ。惡口シテ他ヲ罵リ。兩舌シテ他ノ親好ヲ破スルヲ口ノ四惡業ト云。佛性ニ背クシヤ。不貪欲。不瞋恚。不邪見。此ヲ意ノ三善業ト云。佛性ニ順スル。名利ヲ貪リ。自カラ憂惱シ他ヲ瞋リ。賢聖ヲ蔑シ。神祇ヲ慢シ。因果報應ヲ撥無スルヲ。意ノ三惡業ト云。佛性ニ背クシヤ。此人有テ此道有ル。外ニ向テ求ルコトテハナイ。此大人有テ此十善ノ道ヲ全クスル。今新ニ構造スルコトテハナイ。人人具足。物物自爾。法トシテ如是シヤ。唯迷フ者カ迷フ。知ラヌ者カ知ラヌハカリシヤ。

新字:身三口四意三ノ理ニ順スルヲ十善業ト云。理ニ背クヲ十不善業ト云。理ニ順スルト云ハ別ノコトテハナイ。自ラ本性ノ通リ少モ增減ナキコトシヤ。本性ニ身口意相応スレハ。十善自ラ全キシヤ。理ニ背クト云モ別ノコトテハナイ。唯コノ私意シヤ。私意ヲ以テ本性ヲ增減スルカ。謂ユル悪シヤ。此私アル身口意業ヲ十悪ト云。仏性ハ善悪共ニ妨ケヌモノナレトモ。善ハ常ニ仏性ニ順スル。悪ハ常ニ仏性ニ背クシヤ。不殺生。不偸盗不邪婬。是ヲ身ノ三善業ト云。仏性ニ順スルシヤ。殺生シ。偸盗シ。邪婬ヲ行スルヲ。身ノ三悪業ト名ツクル。是ハ仏性ニ背クシヤ。不妄語不綺語不悪口不両舌是ヲ口ノ四善業ト云。仏性ニ順スル。妄語ヲ言ヒ。綺語ヲ好ミ。悪口シテ他ヲ罵リ。両舌シテ他ノ親好ヲ破スルヲ口ノ四悪業ト云。仏性ニ背クシヤ。不貪欲。不瞋恚。不邪見。此ヲ意ノ三善業ト云。仏性ニ順スル。名利ヲ貪リ。自カラ憂悩シ他ヲ瞋リ。賢聖ヲ蔑シ。神祇ヲ慢シ。因果報応ヲ撥無スルヲ。意ノ三悪業ト云。仏性ニ背クシヤ。此人有テ此道有ル。外ニ向テ求ルコトテハナイ。此大人有テ此十善ノ道ヲ全クスル。今新ニ構造スルコトテハナイ。人人具足。物物自爾。法トシテ如是シヤ。唯迷フ者カ迷フ。知ラヌ者カ知ラヌハカリシヤ。

書き下し

身三口四意三ノ理ニ順スルヲ十善業ト云。理ニ背クヲ十不善業ト云。理ニ順スルト云ハ別ノコトテハナイ。自ラ本性ノ通リ少モ增減ナキコトシヤ。本性ニ身口意相応スレハ。十善自ラ全キシヤ。理ニ背クト云モ別ノコトテハナイ。唯コノ私意シヤ。私意ヲ以テ本性ヲ增減スルカ。謂ユル悪シヤ。此私アル身口意業ヲ十悪ト云。仏性ハ善悪共ニ妨ケヌモノナレトモ。善ハ常ニ仏性ニ順スル。悪ハ常ニ仏性ニ背クシヤ。不殺生。不偸盗不邪婬。是ヲ身ノ三善業ト云。仏性ニ順スルシヤ。殺生シ。偸盗シ。邪婬ヲ行スルヲ。身ノ三悪業ト名ツクル。是ハ仏性ニ背クシヤ。不妄語不綺語不悪口不両舌是ヲ口ノ四善業ト云。仏性ニ順スル。妄語ヲ言ヒ。綺語ヲ好ミ。悪口シテ他ヲ罵リ。両舌シテ他ノ親好ヲ破スルヲ口ノ四悪業ト云。仏性ニ背クシヤ。不貪欲。不瞋恚。不邪見。此ヲ意ノ三善業ト云。仏性ニ順スル。名利ヲ貪リ。自カラ憂悩シ他ヲ瞋リ。賢聖ヲ蔑シ。神祇ヲ慢シ。因果報応ヲ撥無スルヲ。意ノ三悪業ト云。仏性ニ背クシヤ。此人有テ此道有ル。外ニ向テ求ルコトテハナイ。此大人有テ此十善ノ道ヲ全クスル。今新ニ構造スルコトテハナイ。人人具足。物物自爾。法トシテ如是シヤ。唯迷フ者カ迷フ。知ラヌ者カ知ラヌハカリシヤ。

現代語訳

身の三つ・口の四つ・意の三つの行いが理に順うことを十善業と言い、理に背くことを十不善業と言う。理に順うというのは、別のことではない。自分の本性のとおりで、少しも増やしたり減らしたりしないことである。本性に身口意が相応すれば、十善はおのずから全うされる。理に背くというのも別のことではない。ただこの私意である。私意によって本性を増やしたり減らしたりするのが、いわゆる悪である。この私のある身口意の業を十悪と言う。仏性は善も悪も妨げないものだが、善は常に仏性に順い、悪は常に仏性に背く。殺さない、盗まない、邪淫しない、これを身の三善業と言う。仏性に順うのである。殺生し、盗み、邪淫を行うことを身の三悪業と名づける。これは仏性に背く。嘘をつかない、飾った言葉を言わない、悪口を言わない、二枚舌を使わない、これを口の四善業と言う。仏性に順う。嘘をつき、飾った言葉を好み、悪口で他人を罵り、二枚舌で他人の親しい仲を壊すことを口の四悪業と言う。仏性に背くのである。貪らない、怒らない、誤った見方をしない、これを意の三善業と言う。仏性に順う。名誉や利益を貪り、自分で憂い悩み、他人に怒り、賢者聖者を侮り、神々を軽んじ、因果の報いを否定することを意の三悪業と言う。仏性に背くのである。この人がいてこの道がある。外に向かって求めることではない。この大いなる人がいて、この十善の道を全うする。今新たに作り出すことではない。人は誰もが備えており、物は物としておのずからそうである。法とはそういうものである。ただ迷う者が迷い、知らない者が知らないだけなのだ。

解説

十善の全体像を身口意の三つに分けて示し、善悪の根を一語でつかむ段である。悪とは特別な邪心ではなく、私意で本性に足したり引いたりすることだと尊者は言う。見栄を張るのは足すこと、卑下して投げやりになるのは引くことで、どちらも本来のありのままから外れている。だから十善は外から新しく身につける規則ではなく、もともと人に備わったものを曲げずに出すことになる。迷う者が迷い、知らない者が知らないだけ、という結びは突き放しているようで、誰にでも開かれた道だという宣言でもある。

この章句が説くこと

身口意私意本性仏性十悪十善業

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