十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
起信論ニ。一切法從本已來。離言說相。離名字相。離心念相。畢竟平等。無有變異。不可破壞。唯是一心。故名眞如トアル。般舟三昧經ニ。心自不知心。有心不見心。心有想則癡。無想是泥洹トアル。佛性ハ言說心念ヲ離レテ。而常ニ緣起スル。緣起端ナキコト環ノ如クシヤ。此緣起ノ中ニ佛性ヲ知ヘキシヤ。譬ヘハ鏡ノ明ニ由テ面像ヲ現ス。此面像ハ好醜ニ由テ鏡ノ明ヲ知コトクシヤ。試ニ目前ノ色ニ對シテ眼ヲ開テ看ヨ。內外ハ何處ニ安布ス。自他ハ何處ニ安排布置スル。此內外ヲ見テ佛性ヲ知ル。此自他ヲ見テ佛性ヲ知ル。此好惡ノ相ヲ見テ明カニ佛性ニ達スル。色境ト眼根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言說ノ相ナク。心念ノ相ナキシヤ。此ヲ不兩舌戒ノ體ト名ツクルシヤ。
新字:起信論ニ。一切法従本已来。離言説相。離名字相。離心念相。畢竟平等。無有変異。不可破壊。唯是一心。故名真如トアル。般舟三昧経ニ。心自不知心。有心不見心。心有想則痴。無想是泥洹トアル。仏性ハ言説心念ヲ離レテ。而常ニ縁起スル。縁起端ナキコト環ノ如クシヤ。此縁起ノ中ニ仏性ヲ知ヘキシヤ。譬ヘハ鏡ノ明ニ由テ面像ヲ現ス。此面像ハ好醜ニ由テ鏡ノ明ヲ知コトクシヤ。試ニ目前ノ色ニ対シテ眼ヲ開テ看ヨ。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此好悪ノ相ヲ見テ明カニ仏性ニ達スル。色境ト眼根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナキシヤ。此ヲ不両舌戒ノ体ト名ツクルシヤ。
書き下し
起信論ニ。一切法従本已来。離言説相。離名字相。離心念相。畢竟平等。無有変異。不可破壊。唯是一心。故名真如トアル。般舟三昧経ニ。心自不知心。有心不見心。心有想則痴。無想是泥洹トアル。仏性ハ言説心念ヲ離レテ。而常ニ縁起スル。縁起端ナキコト環ノ如クシヤ。此縁起ノ中ニ仏性ヲ知ヘキシヤ。譬ヘハ鏡ノ明ニ由テ面像ヲ現ス。此面像ハ好醜ニ由テ鏡ノ明ヲ知コトクシヤ。試ニ目前ノ色ニ対シテ眼ヲ開テ看ヨ。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此好悪ノ相ヲ見テ明カニ仏性ニ達スル。色境ト眼根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナキシヤ。此ヲ不両舌戒ノ体ト名ツクルシヤ。
現代語訳
起信論に、一切の法は本来、言葉の相を離れ、名字の相を離れ、心で思う相を離れて、結局は平等であり、変わることがなく、壊すことができない。ただこれ一心である。だから真如と名づける、とある。般舟三昧経に、心はみずから心を知らない。心があっても心を見ない。心に想いがあれば愚かであり、想いがなければそれが涅槃である、とある。仏性は言葉や心の思いを離れていて、しかも常に縁起する。縁起には端がなく、輪のようである。この縁起の中に仏性を知るべきである。たとえば鏡が明るいことによって顔の像を映す。この顔の像はその美醜によって鏡の明るさを知らせるようなものである。試みに目の前の色に向かって、眼を開いて見よ。内と外はどこに配置されているか。自と他はどこに配置されているか。この内外を見て仏性を知る。この自他を見て仏性を知る。この好悪の相を見て、明らかに仏性に達する。色の対象と眼の器官とには、一つだの異なるだのの相がなく、凡夫だの聖者だのの相がなく、迷いだの悟りだのの相がなく、言葉の相がなく、心で思う相がない。これを不両舌戒の体と名づけるのである。
解説

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