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十善法語 / 巻第六・不惡口戒

ソレナレハ大人ハ一向ニ惡口ヲセヌカト云ニ。此戒ニ亦開遮ト云コトカアル。諸佛ノ法門ニ折伏アリ。攝受アルシヤ。猛獵ノ言辭ヲ以テ呵責シ。神通變現ニモ猛利ノ言ヲ以テ外道ヲ降伏スル類ヲ。折伏ト云。布施愛語利行同事ヲ以テ。上中下ヲ導クヲ攝受ト云。此二門ハナケレハカナハヌコトシヤ。此中折伏門ハ。惡口ニ似テ惡口ナラヌシヤ。律中ニ亡人ノ遺財ヲ貪ル者ヲ呵シテ。汝旃陀羅心ヲ起スコト勿レト云。經中ニ愚癡ノ比丘ヲ呵シテ。啞羊僧ト名ツク。大迦葉尊者ノ阿難尊者ヲ呵シテ。汝年少ノ比丘ト。梵網經ニ不受佛戒ノ者犯佛戒ノ者ヲ呵シテ。畜生無異。木頭無異ト。佛世尊ノ提婆達多ヲ呵責シテ。汝人ノ唾ヲ食スル者ト。又無比童女ヲ罵辱シテ。此卑賤身不淨遍充滿ト有シ。此類折伏ニ屬ス。

新字:ソレナレハ大人ハ一向ニ悪口ヲセヌカト云ニ。此戒ニ亦開遮ト云コトカアル。諸仏ノ法門ニ折伏アリ。摂受アルシヤ。猛猟ノ言辞ヲ以テ呵責シ。神通変現ニモ猛利ノ言ヲ以テ外道ヲ降伏スル類ヲ。折伏ト云。布施愛語利行同事ヲ以テ。上中下ヲ導クヲ摂受ト云。此二門ハナケレハカナハヌコトシヤ。此中折伏門ハ。悪口ニ似テ悪口ナラヌシヤ。律中ニ亡人ノ遺財ヲ貪ル者ヲ呵シテ。汝旃陀羅心ヲ起スコト勿レト云。経中ニ愚痴ノ比丘ヲ呵シテ。啞羊僧ト名ツク。大迦葉尊者ノ阿難尊者ヲ呵シテ。汝年少ノ比丘ト。梵網経ニ不受仏戒ノ者犯仏戒ノ者ヲ呵シテ。畜生無異。木頭無異ト。仏世尊ノ提婆達多ヲ呵責シテ。汝人ノ唾ヲ食スル者ト。又無比童女ヲ罵辱シテ。此卑賤身不浄遍充満ト有シ。此類折伏ニ属ス。

書き下し

ソレナレハ大人ハ一向ニ悪口ヲセヌカト云ニ。此戒ニ亦開遮ト云コトカアル。諸仏ノ法門ニ折伏アリ。摂受アルシヤ。猛猟ノ言辞ヲ以テ呵責シ。神通変現ニモ猛利ノ言ヲ以テ外道ヲ降伏スル類ヲ。折伏ト云。布施愛語利行同事ヲ以テ。上中下ヲ導クヲ摂受ト云。此二門ハナケレハカナハヌコトシヤ。此中折伏門ハ。悪口ニ似テ悪口ナラヌシヤ。律中ニ亡人ノ遺財ヲ貪ル者ヲ呵シテ。汝旃陀羅心ヲ起スコト勿レト云。経中ニ愚痴ノ比丘ヲ呵シテ。啞羊僧ト名ツク。大迦葉尊者ノ阿難尊者ヲ呵シテ。汝年少ノ比丘ト。梵網経ニ不受仏戒ノ者犯仏戒ノ者ヲ呵シテ。畜生無異。木頭無異ト。仏世尊ノ提婆達多ヲ呵責シテ。汝人ノ唾ヲ食スル者ト。又無比童女ヲ罵辱シテ。此卑賤身不浄遍充満ト有シ。此類折伏ニ属ス。

現代語訳

それならば大人は一向に悪口をしないのかと言うと、この戒にもまた開遮(許すことと止めること)ということがある。諸仏の法門には折伏があり、摂受があるのである。激しい言葉で叱り、神通を現す時にも鋭い言葉で外道を降伏させる類を折伏と言う。布施・愛語・利行・同事によって上中下の人を導くことを摂受と言う。この二つの門はなくてはならないことである。この中で折伏の門は、悪口に似て悪口ではないのである。律の中に、亡くなった人の遺産を貪る者を叱って、お前は旃陀羅の心を起こしてはならない、と言う。経の中に、愚かな比丘を叱って、唖羊僧と名づける。大迦葉尊者が阿難尊者を叱って、お前は年少の比丘だ、と言った。梵網経に、仏戒を受けない者や仏戒を犯す者を叱って、畜生と異ならない、木切れと異ならない、と言う。仏世尊が提婆達多を叱責して、お前は人の唾を食らう者だ、と言われた。また無比童女を辱めて、この卑しい身は不浄が遍く満ちている、と言われた。この類は折伏に属する。

解説

では優れた人は決して厳しい言葉を使わないのかという問いに、慈雲は折伏と摂受の二つの門で答える。折伏は激しい言葉で相手の誤りを打ち砕く導き方、摂受は布施・愛語・利行・同事という四つの方法で相手を包み込んで導く方法である。仏が提婆達多を叱り、迦葉が阿難を叱ったような言葉は、悪口に似ているが悪口ではないという。旃陀羅は古代インドで差別された人々を指す語で、今日そのまま用いるべき言葉ではない。叱ることと侮ることは別であり、相手を導く目的があるかが分かれ目である。

この章句が説くこと

折伏摂受開遮叱責愛語

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