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十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

諸ノ衫袴褶襦等ミナ非法ナリトアル。着用ハ通肩ヲ福田ノ相トス。一切師位ニ臨ミ。聚落ニ入等ノ着法シヤ。偏袒ヲ執作ノ相トス。一切請白諮問等ノ着法シヤ。此等ミナ法式楷定セルコトシヤ。近世佛像羅漢像ナト多ク聖儀ニ違背ス。コトコトク法滅ノ相ト云コトシヤ。行路入聚落ニモ法アルシヤ。若止宿處ニ至ル。若暫休息處ニ至ル。ミナ佛制アルシヤ。今時ノ僧徒多ク俗威儀ニ順シテ。故ラニ佛制ニ違背スルハ可悲コトシヤ。器物ニモ法アルシヤ。鉢ハ體色量ミナ法ニ應スベシ。コレ本梵言テ。具ニハ鉢多羅ト云。此ニ應量器ト翻ス。坐具モ體ト量トミナ法アルシヤ。此ヲ用ルニ法アルシヤ。ミナ明律ノ師ニ隨ヒ受ベキコトシヤ。

新字:諸ノ衫袴褶襦等ミナ非法ナリトアル。着用ハ通肩ヲ福田ノ相トス。一切師位ニ臨ミ。聚落ニ入等ノ着法シヤ。偏袒ヲ執作ノ相トス。一切請白諮問等ノ着法シヤ。此等ミナ法式楷定セルコトシヤ。近世仏像羅漢像ナト多ク聖儀ニ違背ス。コトコトク法滅ノ相ト云コトシヤ。行路入聚落ニモ法アルシヤ。若止宿処ニ至ル。若暫休息処ニ至ル。ミナ仏制アルシヤ。今時ノ僧徒多ク俗威儀ニ順シテ。故ラニ仏制ニ違背スルハ可悲コトシヤ。器物ニモ法アルシヤ。鉢ハ体色量ミナ法ニ応スベシ。コレ本梵言テ。具ニハ鉢多羅ト云。此ニ応量器ト翻ス。坐具モ体ト量トミナ法アルシヤ。此ヲ用ルニ法アルシヤ。ミナ明律ノ師ニ随ヒ受ベキコトシヤ。

書き下し

諸ノ衫袴褶襦等ミナ非法ナリトアル。着用ハ通肩ヲ福田ノ相トス。一切師位ニ臨ミ。聚落ニ入等ノ着法シヤ。偏袒ヲ執作ノ相トス。一切請白諮問等ノ着法シヤ。此等ミナ法式楷定セルコトシヤ。近世仏像羅漢像ナト多ク聖儀ニ違背ス。コトコトク法滅ノ相ト云コトシヤ。行路入聚落ニモ法アルシヤ。若止宿処ニ至ル。若暫休息処ニ至ル。ミナ仏制アルシヤ。今時ノ僧徒多ク俗威儀ニ順シテ。故ラニ仏制ニ違背スルハ可悲コトシヤ。器物ニモ法アルシヤ。鉢ハ体色量ミナ法ニ応スベシ。コレ本梵言テ。具ニハ鉢多羅ト云。此ニ応量器ト翻ス。坐具モ体ト量トミナ法アルシヤ。此ヲ用ルニ法アルシヤ。ミナ明律ノ師ニ随ヒ受ベキコトシヤ。

現代語訳

諸々の衫・袴・褶・襦などは、みな非法である、とある。着用は、両肩を覆う通肩を福田の相とする。一切の師の位に臨むとき、村里に入るときなどの着方である。片肌を脱ぐ偏袒を作業の相とする。一切の請願や問いかけなどのときの着方である。これらはみな法式として定められたことである。近世の仏像や羅漢像などは多く聖なる作法に背いている。ことごとく法が滅びる相だということだ。道を行き村里に入るにも法がある。宿泊する所に至る、しばらく休息する所に至る、みな仏の制がある。今どきの僧徒が多く世俗の作法に従って、ことさらに仏の制に背くのは悲しむべきことである。器物にも法がある。鉢は材質・色・量がみな法に応じるべきである。これはもと梵語で、詳しくは鉢多羅という。ここでは応量器と訳す。坐具も材質と寸法とにみな法がある。これを用いるにも法がある。みな律に明るい師に従って受けるべきことである。

解説

衣の着方にも意味がある。両肩を覆う通肩は人々の福田(功徳を生む田)としての姿で、説法や托鉢のとき、右肩を出す偏袒は作業や敬意を表すときの姿とされる。尊者は、近世の仏像や羅漢像すら作法に背き、僧が世俗の振る舞いに流れているのを悲しむ。鉢は梵語パートラの音写で、応量器、つまり分量にかなった器と訳される。形のきまりを、律に明るい師から直接受けよというのは、形が崩れると中身も崩れていくという、戒律復興を志した人の実感であろう。

この章句が説くこと

身和敬袈裟応量器戒律威儀

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