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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

世智ヲ以テ分別スル者ハカウシヤ。何方マテモ世智シヤ。元來コノ生死去來。世智ヲ以テ知ルヘキ所デナイ。彼月影ノ盤水ニウツル譬モ。麁相ニ思惟セハサモアルベキヤウナレトモ。具ニ思惟シテ看ヨ。理ニ當ラヌコトヲ知ルヘキシヤ。今正シク譬ヘテ云ハハ。心性ハ月ノ如ク。境界ハ盤水ノ如ク。妄念想像ハカノ月影ノ如シヤ。盤水有ル處ハ必ス月影有ル。月影ハ月輪ノ體ナラネトモ。影ハ必ス月ニ由テ生スル。カクノ如ク。境界ノ有ル處ハ必ス其念生ス。念ハ必ス本性ニ因テ起ル。盤ノ多少ニ隨テ月影モ亦多少カ有ル。月影ニ多少ハアレトモ。天上ニハ唯一月輪ノミ。如是念想ハ境ニ隨テ多少アレトモ。心性ハ唯一法性ノミシヤ。

新字:世智ヲ以テ分別スル者ハカウシヤ。何方マテモ世智シヤ。元来コノ生死去来。世智ヲ以テ知ルヘキ所デナイ。彼月影ノ盤水ニウツル譬モ。麁相ニ思惟セハサモアルベキヤウナレトモ。具ニ思惟シテ看ヨ。理ニ当ラヌコトヲ知ルヘキシヤ。今正シク譬ヘテ云ハハ。心性ハ月ノ如ク。境界ハ盤水ノ如ク。妄念想像ハカノ月影ノ如シヤ。盤水有ル処ハ必ス月影有ル。月影ハ月輪ノ体ナラネトモ。影ハ必ス月ニ由テ生スル。カクノ如ク。境界ノ有ル処ハ必ス其念生ス。念ハ必ス本性ニ因テ起ル。盤ノ多少ニ随テ月影モ亦多少カ有ル。月影ニ多少ハアレトモ。天上ニハ唯一月輪ノミ。如是念想ハ境ニ随テ多少アレトモ。心性ハ唯一法性ノミシヤ。

書き下し

世智ヲ以テ分別スル者ハカウシヤ。何方マテモ世智シヤ。元来コノ生死去来。世智ヲ以テ知ルヘキ所デナイ。彼月影ノ盤水ニウツル譬モ。麁相ニ思惟セハサモアルベキヤウナレトモ。具ニ思惟シテ看ヨ。理ニ当ラヌコトヲ知ルヘキシヤ。今正シク譬ヘテ云ハハ。心性ハ月ノ如ク。境界ハ盤水ノ如ク。妄念想像ハカノ月影ノ如シヤ。盤水有ル処ハ必ス月影有ル。月影ハ月輪ノ体ナラネトモ。影ハ必ス月ニ由テ生スル。カクノ如ク。境界ノ有ル処ハ必ス其念生ス。念ハ必ス本性ニ因テ起ル。盤ノ多少ニ随テ月影モ亦多少カ有ル。月影ニ多少ハアレトモ。天上ニハ唯一月輪ノミ。如是念想ハ境ニ随テ多少アレトモ。心性ハ唯一法性ノミシヤ。

現代語訳

世俗の知恵で分別する者はこうである。どこまでも世俗の知恵である。もともとこの生死の去来は、世俗の知恵で知ることのできるところではない。あの月影が盆の水に映るたとえも、粗く考えればそうもあろうかと思えるが、詳しく考えてみなさい。道理に当たらないことがわかるはずである。今、正しくたとえて言えば、心性は月のようであり、境界(対象)は盆の水のようであり、妄念や想像はあの月影のようである。盆の水のある所には必ず月影がある。月影は月そのものではないけれども、影は必ず月によって生じる。そのように、境界のある所には必ずその念が生じる。念は必ず本性によって起こる。盆の数の多少に従って、月影にもまた多少がある。月影に多少はあっても、天上にはただ一つの月があるだけである。そのように、念や想いは境に従って多少があっても、心性はただ一つの法性だけなのである。

解説

断見の者の月影のたとえを、尊者が組み替えて正しく用い直す段である。月を心性、盆の水を対象、映る影を念とすれば、影は水ごとに生滅しても、それを生じさせる月は天に一つあり続ける。念は対象に応じて生じたり消えたりするが、その根にある心性は一つの法性として変わらない、というのである。相手のたとえを退けるのではなく、同じたとえの配役を正して逆の結論を導くところに、尊者の説法の巧みさがある。考えや気分は移ろっても、それを映す本性は別にあると見る視点は、感情に振り回されない助けになる。

この章句が説くこと

心性法性月影境界世智

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