十善法語 / 巻第三・不邪婬戒
阿含部ノ中。別ニ呵欲經カアル。智度論ノ中ニ具ニ五種ノ欲ヲ呵ス。此愛欲ト云モノハ禪定智慧ヲ障ル故ニ。大小乘經論諸律ノ中ニ。深ク呵責スル所シヤ。經ノ中ニ。男子ハ慧カ勝テ定カ劣ル。女子ハ定カ勝テ慧カ劣ルトアル。天ノ德ヲ全セル姿ノ者。是ヲ無漏聖道ニ用レハ慧トナリ來ル。地ノ德ヲ全セル姿ノモノ。是ヲ無漏聖道ニ用レハ定トナリ來ル。定慧ハ元來不二ナルモノデ。慧ノアル處ハ必ス定カ隨フ。定ノアル處ハ必ス慧カ隨フ。男子カ慧力ヲ滿足スレハ定慧增長シテ無漏智見ヲ得ル。女子カ定ヲ滿足スレハ定慧增長シテ無漏聖道ヲ得ル。此戒ニ此德アルニ因テ。背ケハ其罪アリ。經中ニ邪婬ノ者ハ地獄餓鬼畜生ニ墮ストアル。此ヲ異熟果ト云。タマタマ人間ニ生スルモ夫妻貞良ナラス。隨意ノ眷屬ヲ得ヌトアル。此ヲ等流果ト云。外ノ器世間ノ資具ニ至ルマテ臭穢不淨ナリトアル。是ヲ增上果ト名クルシヤ。
新字:阿含部ノ中。別ニ呵欲経カアル。智度論ノ中ニ具ニ五種ノ欲ヲ呵ス。此愛欲ト云モノハ禅定智慧ヲ障ル故ニ。大小乗経論諸律ノ中ニ。深ク呵責スル所シヤ。経ノ中ニ。男子ハ慧カ勝テ定カ劣ル。女子ハ定カ勝テ慧カ劣ルトアル。天ノ徳ヲ全セル姿ノ者。是ヲ無漏聖道ニ用レハ慧トナリ来ル。地ノ徳ヲ全セル姿ノモノ。是ヲ無漏聖道ニ用レハ定トナリ来ル。定慧ハ元来不二ナルモノデ。慧ノアル処ハ必ス定カ随フ。定ノアル処ハ必ス慧カ随フ。男子カ慧力ヲ満足スレハ定慧增長シテ無漏智見ヲ得ル。女子カ定ヲ満足スレハ定慧增長シテ無漏聖道ヲ得ル。此戒ニ此徳アルニ因テ。背ケハ其罪アリ。経中ニ邪婬ノ者ハ地獄餓鬼畜生ニ堕ストアル。此ヲ異熟果ト云。タマタマ人間ニ生スルモ夫妻貞良ナラス。随意ノ眷属ヲ得ヌトアル。此ヲ等流果ト云。外ノ器世間ノ資具ニ至ルマテ臭穢不浄ナリトアル。是ヲ增上果ト名クルシヤ。
書き下し
阿含部ノ中。別ニ呵欲経カアル。智度論ノ中ニ具ニ五種ノ欲ヲ呵ス。此愛欲ト云モノハ禅定智慧ヲ障ル故ニ。大小乗経論諸律ノ中ニ。深ク呵責スル所シヤ。経ノ中ニ。男子ハ慧カ勝テ定カ劣ル。女子ハ定カ勝テ慧カ劣ルトアル。天ノ徳ヲ全セル姿ノ者。是ヲ無漏聖道ニ用レハ慧トナリ来ル。地ノ徳ヲ全セル姿ノモノ。是ヲ無漏聖道ニ用レハ定トナリ来ル。定慧ハ元来不二ナルモノデ。慧ノアル処ハ必ス定カ随フ。定ノアル処ハ必ス慧カ随フ。男子カ慧力ヲ満足スレハ定慧增長シテ無漏智見ヲ得ル。女子カ定ヲ満足スレハ定慧增長シテ無漏聖道ヲ得ル。此戒ニ此徳アルニ因テ。背ケハ其罪アリ。経中ニ邪婬ノ者ハ地獄餓鬼畜生ニ堕ストアル。此ヲ異熟果ト云。タマタマ人間ニ生スルモ夫妻貞良ナラス。随意ノ眷属ヲ得ヌトアル。此ヲ等流果ト云。外ノ器世間ノ資具ニ至ルマテ臭穢不浄ナリトアル。是ヲ增上果ト名クルシヤ。
現代語訳
阿含部の中には、別に呵欲経(欲を叱る経)がある。大智度論の中には、詳しく五種の欲を叱っている。この愛欲というものは禅定と智慧を妨げるので、大乗・小乗の経論や諸律の中で深く叱責しているところである。経の中に、男子は智慧が勝って禅定が劣る、女子は禅定が勝って智慧が劣る、とある。天の徳を全うした姿の者が、これを無漏の聖道に用いれば智慧となって現れる。地の徳を全うした姿の者が、これを無漏の聖道に用いれば禅定となって現れる。禅定と智慧はもともと二つではないもので、智慧のあるところには必ず禅定が伴い、禅定のあるところには必ず智慧が伴う。男子が智慧の力を満たせば、禅定と智慧が増して無漏の智見を得る。女子が禅定を満たせば、禅定と智慧が増して無漏の聖道を得る。この戒にこの徳があるので、背けばその罪がある。経の中に、邪婬の者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちる、とある。これを異熟果と言う。たまたま人間に生まれても、夫や妻が貞淑善良でなく、思いどおりの家族を得られない、とある。これを等流果と言う。外の器世間(環境)の道具に至るまで臭く穢れて不浄である、とある。これを増上果と名づけるのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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