十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
戰國ノ時。燕王噲カ國ヲ其相子之ニ讓ル。鹿毛壽ニ欺カレテ。堯ヲ引テ自ラ比スル。漢ノ哀帝カ私愛ニ溺レ。董賢ニ位ヲ傳ント欲シテ。此ヲ有虞ニ比スル。君ノ君タラヌ此類シヤ。此十善ナクハ世間黑暗ト云モ可ナリシヤ。王莽カ漢ヲ奪フニ。堯舜ヲ假テ辭ヲ造ル。曹魏司馬晉已來。諸ノ反逆ノ者。皆禪詔ヲ譌テ位ニ卽ク。臣佐ノ君長ニ悖ル。此類シヤ。劉宋ノ檀道成カ威名サカンナルヲ。宋君カ疑テ罪ナキニ刑ニ行フタ。後敵國攻來タ時。其猛將ニ事ヲ關テ。檀道成モシ在ハ。胡馬ココニ到ラシトテ悔タトアル。此等ノ君臣相疑フ類。ミナ君ノ君タラヌ臣ノ臣タラヌ類シヤ。此十善ナクハ强弱相凌キ。君臣相損害ス。世間皆黑暗ト云モ可ナリシヤ。傳戒相承ノ義ニ。我邦ハ上古ヨリ十善ヲ以テ天位ヲ定メ。十善ヲ以テ政治ヲ布ク。支那ノ聖代ヨリ勝リ。諸子百家ノ德風ニ超ルト云コトシヤ。
新字:戦国ノ時。燕王噲カ国ヲ其相子之ニ譲ル。鹿毛寿ニ欺カレテ。堯ヲ引テ自ラ比スル。漢ノ哀帝カ私愛ニ溺レ。董賢ニ位ヲ伝ント欲シテ。此ヲ有虞ニ比スル。君ノ君タラヌ此類シヤ。此十善ナクハ世間黒暗ト云モ可ナリシヤ。王莽カ漢ヲ奪フニ。堯舜ヲ仮テ辞ヲ造ル。曹魏司馬晋已来。諸ノ反逆ノ者。皆禅詔ヲ譌テ位ニ即ク。臣佐ノ君長ニ悖ル。此類シヤ。劉宋ノ檀道成カ威名サカンナルヲ。宋君カ疑テ罪ナキニ刑ニ行フタ。後敵国攻来タ時。其猛将ニ事ヲ関テ。檀道成モシ在ハ。胡馬ココニ到ラシトテ悔タトアル。此等ノ君臣相疑フ類。ミナ君ノ君タラヌ臣ノ臣タラヌ類シヤ。此十善ナクハ強弱相凌キ。君臣相損害ス。世間皆黒暗ト云モ可ナリシヤ。伝戒相承ノ義ニ。我邦ハ上古ヨリ十善ヲ以テ天位ヲ定メ。十善ヲ以テ政治ヲ布ク。支那ノ聖代ヨリ勝リ。諸子百家ノ徳風ニ超ルト云コトシヤ。
書き下し
戦国ノ時。燕王噲カ国ヲ其相子之ニ譲ル。鹿毛寿ニ欺カレテ。堯ヲ引テ自ラ比スル。漢ノ哀帝カ私愛ニ溺レ。董賢ニ位ヲ伝ント欲シテ。此ヲ有虞ニ比スル。君ノ君タラヌ此類シヤ。此十善ナクハ世間黒暗ト云モ可ナリシヤ。王莽カ漢ヲ奪フニ。堯舜ヲ仮テ辞ヲ造ル。曹魏司馬晋已来。諸ノ反逆ノ者。皆禅詔ヲ譌テ位ニ即ク。臣佐ノ君長ニ悖ル。此類シヤ。劉宋ノ檀道成カ威名サカンナルヲ。宋君カ疑テ罪ナキニ刑ニ行フタ。後敵国攻来タ時。其猛将ニ事ヲ関テ。檀道成モシ在ハ。胡馬ココニ到ラシトテ悔タトアル。此等ノ君臣相疑フ類。ミナ君ノ君タラヌ臣ノ臣タラヌ類シヤ。此十善ナクハ强弱相凌キ。君臣相損害ス。世間皆黒暗ト云モ可ナリシヤ。伝戒相承ノ義ニ。我邦ハ上古ヨリ十善ヲ以テ天位ヲ定メ。十善ヲ以テ政治ヲ布ク。支那ノ聖代ヨリ勝リ。諸子百家ノ徳風ニ超ルト云コトシヤ。
現代語訳
戦国時代、燕王噲がその国を宰相の子之に譲った。鹿毛寿に欺かれて、堯を引き合いに出して自らを比べた。漢の哀帝が私愛に溺れ、董賢に位を伝えようとして、これを有虞(舜)に比べた。君が君でない、この類である。この十善がなければ、世間は真っ暗闇と言ってもよいのである。王莽が漢を奪うのに、堯舜を借りて言葉を作った。曹魏や司馬晋以来、諸々の反逆の者は、みな禅譲の詔を偽って位に就いた。臣下が君長に背く、この類である。劉宋の檀道成(檀道済)が威名盛んであったのを、宋の君が疑って罪もないのに刑に処した。後に敵国が攻めて来た時、その猛将たちに事を諮って、「檀道成がもしいたならば、胡の馬はここまで到らなかったであろう」と言って悔いたとある。これらの君臣が互いに疑う類は、みな君が君でなく、臣が臣でない類である。この十善がなければ、強弱が互いにしのぎ、君臣が互いに損ない害する。世間はみな真っ暗闇と言ってもよいのである。伝戒相承の意義に、わが国は上古から十善によって天位を定め、十善によって政治を布いた。中国の聖代よりも勝り、諸子百家の徳風を超えるということである。
解説

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