十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
谷響モ聲アル。鏡像モヨク笑ヲ含ム。此アレハ彼アリ。彼起レハ此應スル。彼ト此ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心ト境ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心轉スレハ境界モ隨テ遷ル。境轉スレハ心モ自ラ變スル。善業ヲ作セハ。此善業カ直ニ諸天ノ境界トナル。佛菩薩ノ境界トナル。惡業ヲ作セハ。此惡業カ直ニ畜生阿修羅トナル。餓鬼地獄トナル。諸天境中ニハ。此心直ニ歡樂遊戲ス。三惡趣境中ニハ此心直ニ苦惱逼迫ス。菩薩境中ニハ此心直ニ三學六度ヲ現ス。諸佛境中ニハ。此心直ニ無漏大定智悲ヲ現ス。因果報應ハ。信シテ信セラルルコトソ。信シテ信シソコナヒノナイコトソ。此斷常ノ二見ヲ超過スレハ。必ス正智慧ヲ生スル。正智慧ヲ得レハ。生死ニ自在ヲ得ル。到ル處正法シヤ。到ル處聖智見シヤ。
新字:谷響モ声アル。鏡像モヨク笑ヲ含ム。此アレハ彼アリ。彼起レハ此応スル。彼ト此ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心ト境ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心転スレハ境界モ随テ遷ル。境転スレハ心モ自ラ変スル。善業ヲ作セハ。此善業カ直ニ諸天ノ境界トナル。仏菩薩ノ境界トナル。悪業ヲ作セハ。此悪業カ直ニ畜生阿修羅トナル。餓鬼地獄トナル。諸天境中ニハ。此心直ニ歓楽遊戯ス。三悪趣境中ニハ此心直ニ苦悩逼迫ス。菩薩境中ニハ此心直ニ三学六度ヲ現ス。諸仏境中ニハ。此心直ニ無漏大定智悲ヲ現ス。因果報応ハ。信シテ信セラルルコトソ。信シテ信シソコナヒノナイコトソ。此断常ノ二見ヲ超過スレハ。必ス正智慧ヲ生スル。正智慧ヲ得レハ。生死ニ自在ヲ得ル。到ル処正法シヤ。到ル処聖智見シヤ。
書き下し
谷響モ声アル。鏡像モヨク笑ヲ含ム。此アレハ彼アリ。彼起レハ此応スル。彼ト此ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心ト境ト。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラス。心転スレハ境界モ随テ遷ル。境転スレハ心モ自ラ変スル。善業ヲ作セハ。此善業カ直ニ諸天ノ境界トナル。仏菩薩ノ境界トナル。悪業ヲ作セハ。此悪業カ直ニ畜生阿修羅トナル。餓鬼地獄トナル。諸天境中ニハ。此心直ニ歓楽遊戯ス。三悪趣境中ニハ此心直ニ苦悩逼迫ス。菩薩境中ニハ此心直ニ三学六度ヲ現ス。諸仏境中ニハ。此心直ニ無漏大定智悲ヲ現ス。因果報応ハ。信シテ信セラルルコトソ。信シテ信シソコナヒノナイコトソ。此断常ノ二見ヲ超過スレハ。必ス正智慧ヲ生スル。正智慧ヲ得レハ。生死ニ自在ヲ得ル。到ル処正法シヤ。到ル処聖智見シヤ。
現代語訳
谷のこだまにも声がある。鏡の像もよく笑みを含む。これがあればあれがある。あれが起これば、これが応じる。あれとこれとは、一つとも言えず、異なるとも言えない。心と境界とは、一つとも言えず、異なるとも言えない。心が転じれば、境界もそれに従って移る。境界が転じれば、心もおのずから変わる。善業をなせば、この善業がそのまま諸天の境界となり、仏や菩薩の境界となる。悪業をなせば、この悪業がそのまま畜生や阿修羅となり、餓鬼や地獄となる。諸天の境界の中では、この心はそのまま喜び楽しみ遊ぶ。三悪趣の境界の中では、この心はそのまま苦しみ悩みに迫られる。菩薩の境界の中では、この心はそのまま三学や六度を現す。諸仏の境界の中では、この心はそのまま無漏の大定と智慧と慈悲を現す。因果の報いは、信じれば信じられることである。信じて信じ損なうことのないことである。この断見と常見の二つの見方を超えれば、必ず正しい智慧が生じる。正しい智慧を得れば、生死に自在を得る。至る所が正法である。至る所が聖なる智見である。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、抑、因果とて、よきあしき時のあるも、公案を尽して見るに、ただめづらしき、めづらしからぬの二つなり。おなじ上手にておなじ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつる事の、今またおもしろくもなき時のあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、わるしと見るなり。その後またよき時のあるは、先にわるかりつるものをと思ふ心、まためづらしきに還りて、おもしろくなるなり。されば、この道をきはめをはりて見れば、花とて別にはなきものなり。奥義をきはめて、よろづにめづらしき理をわれと知るならでは、花はあるべからず。経にいはく、善悪不二、邪正一如とあり。本来より、よきあしきとは何をもて定むべきや。ただ時によりて用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。この風体の品々も、当世の衆人諸所にわたりて、その時のあまねき好みによりて取出す風体、これ用足る為の花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ、人々心々の花なり。いづれをまこととせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。
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『墨子』節葬下以て刑政を治めんと欲するは、意う者、可なるか。其の説、又た不可なり。今、惟だ厚葬久喪を以て政を為す無し。國家、必ず貧しく、人民、必ず寡なく、刑政、必ず亂る。若の法、若の言のごとくし、若の道を行いて、上為る者をして此を行わしめば、則ち聴治する能わず、下為る者をして此を行わしめば、則ち事に從う能わず。上、聴治せざれば、刑政、必ず亂れ、下、事に從わざれば、衣食の財、必ず足らず。若し茍くも足らざれば、人の弟為る者は其の兄に求めて得ず、弟ならざる弟は必ず將に其の兄を怨まんとす。人の子為る者は其の親に求めて得ず、孝ならざる子は必ず且つ其の親を怨まんとす。人の臣為る者は之を君に求めて得ず、忠ならざる臣は必ず且つ其の上を亂さんとす。是を以て僻淫邪行の民、出づれば則ち衣無く、入れば則ち食無く、内に潰えて奚若んぞ並びに淫暴を為して、勝げて禁ず可からず。是の故に盜賊、衆くして治まる者、寡なし。盜賊を衆くして治まるを寡なくして、此を以て治を求むるは、譬うるに猶お人をして衆からしめて已に負わしむる毋きがごときなり。治の説、得可き無し。是の故に以て刑政を治めんことを求むるも、既已に不可なり。