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十善法語 / 巻第四・不妄語戒

次ニ羅字ヲ唱ルトキ般若波羅蜜門ニ入ル。無邊差別門ト名ツクト。此羅字ヲ八十華嚴ニハ多字トアルガ。清涼國師ノ釋ニ。此ハ羅字多字。字形相濫ニテ。囉字ヲ本位トストアル。此羅ハ一切法塵垢ノ義シヤ。塵垢ナレハ差別スル。差別スレハ邊際ナキニ由テ。無邊差別門ト名ツクル。此カ阿字門ニ入レハ。塵垢本來不可得シヤ。塵垢ト云モノハ。ヨクヨクシミワタリテ離レ得難キモノナルニ。ナセニ塵垢不可得ソ。元來心ニ蹤跡ハナキシヤ。蹤跡ナキニ因テ本來清淨シヤ。虛空ハ纎塵ヲ受ヌシヤ。自心本來清淨ナレハ山河大地草木叢林モ本來清淨シヤ。一切衆生モ本來清淨シヤ。心境倶ニ本來清淨ナレハ煩惱業果モ本來清淨シヤ。一切衆生ハ本來塵染ヲ解脫シテ。三世ノ諸佛ト德ヲ同フシタモノシヤ。

新字:次ニ羅字ヲ唱ルトキ般若波羅蜜門ニ入ル。無辺差別門ト名ツクト。此羅字ヲ八十華厳ニハ多字トアルガ。清涼国師ノ釈ニ。此ハ羅字多字。字形相濫ニテ。囉字ヲ本位トストアル。此羅ハ一切法塵垢ノ義シヤ。塵垢ナレハ差別スル。差別スレハ辺際ナキニ由テ。無辺差別門ト名ツクル。此カ阿字門ニ入レハ。塵垢本来不可得シヤ。塵垢ト云モノハ。ヨクヨクシミワタリテ離レ得難キモノナルニ。ナセニ塵垢不可得ソ。元来心ニ蹤跡ハナキシヤ。蹤跡ナキニ因テ本来清浄シヤ。虚空ハ繊塵ヲ受ヌシヤ。自心本来清浄ナレハ山河大地草木叢林モ本来清浄シヤ。一切衆生モ本来清浄シヤ。心境倶ニ本来清浄ナレハ煩悩業果モ本来清浄シヤ。一切衆生ハ本来塵染ヲ解脱シテ。三世ノ諸仏ト徳ヲ同フシタモノシヤ。

書き下し

次ニ羅字ヲ唱ルトキ般若波羅蜜門ニ入ル。無辺差別門ト名ツクト。此羅字ヲ八十華厳ニハ多字トアルガ。清涼国師ノ釈ニ。此ハ羅字多字。字形相濫ニテ。囉字ヲ本位トストアル。此羅ハ一切法塵垢ノ義シヤ。塵垢ナレハ差別スル。差別スレハ辺際ナキニ由テ。無辺差別門ト名ツクル。此カ阿字門ニ入レハ。塵垢本来不可得シヤ。塵垢ト云モノハ。ヨクヨクシミワタリテ離レ得難キモノナルニ。ナセニ塵垢不可得ソ。元来心ニ蹤跡ハナキシヤ。蹤跡ナキニ因テ本来清浄シヤ。虚空ハ繊塵ヲ受ヌシヤ。自心本来清浄ナレハ山河大地草木叢林モ本来清浄シヤ。一切衆生モ本来清浄シヤ。心境倶ニ本来清浄ナレハ煩悩業果モ本来清浄シヤ。一切衆生ハ本来塵染ヲ解脱シテ。三世ノ諸仏ト徳ヲ同フシタモノシヤ。

現代語訳

次に羅の字を唱える時、般若波羅蜜の門に入る。無辺差別の門と名づける、と。この羅の字を八十華厳では多の字としているが、清涼国師の注釈に、これは羅の字と多の字の字形が紛らわしいためで、囉の字を本来とする、とある。この羅は一切の法の塵垢(けがれ)という意味である。塵垢であれば差別する。差別すれば限りがないので、無辺差別の門と名づける。これが阿字の門に入れば、塵垢は本来得られないのである。塵垢というものは、よくよく染みわたって離れがたいものであるのに、なぜ塵垢が得られないのか。もともと心に足跡はないのである。足跡がないので本来清浄である。虚空は細かな塵を受けないのである。自分の心が本来清浄であれば、山河大地や草木叢林も本来清浄である。一切の衆生も本来清浄である。心も対象もともに本来清浄であれば、煩悩も業も果報も本来清浄である。一切の衆生は本来塵の染まりを離れて、三世の諸仏と徳を同じくしたものである。

解説

字母の二字目、羅の字の教えである。唐の華厳宗の学僧、清涼国師澄観の注釈を引き、経典の多の字は羅の字との字形の紛れだとする点に、字の形まで確かめる慈雲の学僧としての姿勢が見える。羅は塵垢、つまり汚れを表すが、阿字の本不生の門から見れば汚れは本来つかみどころがなく、心には足跡が残らない。虚空が塵を受けないように、心も世界も衆生も本来清浄だという。過去の失敗や汚点が心に染みついて離れないと感じるときに、本来の清らかさを思い出させる教えである。

この章句が説くこと

羅字塵垢清浄澄観本不生

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