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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

漢書ナトニ。李廣ハ才氣無雙ナリ。匈奴號シテ漢ノ飛將軍ト云。文帝賞嘆シテ云。國初ニ出ハ萬戶侯豈云ニタランヤト。初メ吳楚ノ反セシ時ヨリ。匈奴ニ事アルコロ。大小七十餘戰。至ル處ニ功アリ。然レドモ爵邑ヲ得ス。官九卿ニ過ス。老年ニ及テ。大將軍衛青ニ從テ匈奴ヲ伐シトキ。道ニ迷テ期限ニ後ル。大將軍人ヲ遣シテ失軍ノ曲折ヲ朝廷ヘ奏スヘシ。幕府ニ參テ簿ヲ上ント云。此ヲ憤テ自剄ス。李廣嘗テ望氣王朔ト燕語ス。漢匈奴ヲ擊テヨリ已來。我必ス其中ニアリ。諸部校尉己下。材能中人ニ及サル者スラ。軍功ヲ以テ侯ヲ取ル者數十人。我ハ此人ニ後レネドモ。終ニ尺寸ノ功ノ封侯ヲ得ヘキ無ハ何故ソト。王朔曰。君自ラ省ミヨ。心ノ中ニ悔恨有ヘシト。李廣曰。我隴西ノ大守タリシトキ羌ヲ伐ツ。其時降者八百餘人ヲ誘テ。同日ニ殺ス。今ニ至ルマテ悔恨スト。王朔曰。禍ハ已ニ降ル者ヲ殺スヨリ大ナルハナシ。此將軍ノ侯ヲ得サル所以ナリト。此等ノ事實モ。擴メ思惟セハ。業果アルコトモ信セラルルシヤ。

新字:漢書ナトニ。李広ハ才気無双ナリ。匈奴号シテ漢ノ飛将軍ト云。文帝賞嘆シテ云。国初ニ出ハ万戸侯豈云ニタランヤト。初メ呉楚ノ反セシ時ヨリ。匈奴ニ事アルコロ。大小七十余戦。至ル処ニ功アリ。然レドモ爵邑ヲ得ス。官九卿ニ過ス。老年ニ及テ。大将軍衛青ニ従テ匈奴ヲ伐シトキ。道ニ迷テ期限ニ後ル。大将軍人ヲ遣シテ失軍ノ曲折ヲ朝廷ヘ奏スヘシ。幕府ニ参テ簿ヲ上ント云。此ヲ憤テ自剄ス。李広嘗テ望気王朔ト燕語ス。漢匈奴ヲ撃テヨリ已来。我必ス其中ニアリ。諸部校尉己下。材能中人ニ及サル者スラ。軍功ヲ以テ侯ヲ取ル者数十人。我ハ此人ニ後レネドモ。終ニ尺寸ノ功ノ封侯ヲ得ヘキ無ハ何故ソト。王朔曰。君自ラ省ミヨ。心ノ中ニ悔恨有ヘシト。李広曰。我隴西ノ大守タリシトキ羌ヲ伐ツ。其時降者八百余人ヲ誘テ。同日ニ殺ス。今ニ至ルマテ悔恨スト。王朔曰。禍ハ已ニ降ル者ヲ殺スヨリ大ナルハナシ。此将軍ノ侯ヲ得サル所以ナリト。此等ノ事実モ。擴メ思惟セハ。業果アルコトモ信セラルルシヤ。

書き下し

漢書ナトニ。李広ハ才気無双ナリ。匈奴号シテ漢ノ飛将軍ト云。文帝賞嘆シテ云。国初ニ出ハ万戸侯豈云ニタランヤト。初メ吳楚ノ反セシ時ヨリ。匈奴ニ事アルコロ。大小七十余戦。至ル処ニ功アリ。然レドモ爵邑ヲ得ス。官九卿ニ過ス。老年ニ及テ。大将軍衛青ニ従テ匈奴ヲ伐シトキ。道ニ迷テ期限ニ後ル。大将軍人ヲ遣シテ失軍ノ曲折ヲ朝廷ヘ奏スヘシ。幕府ニ参テ簿ヲ上ント云。此ヲ憤テ自剄ス。李広嘗テ望気王朔ト燕語ス。漢匈奴ヲ擊テヨリ已来。我必ス其中ニアリ。諸部校尉己下。材能中人ニ及サル者スラ。軍功ヲ以テ侯ヲ取ル者数十人。我ハ此人ニ後レネドモ。終ニ尺寸ノ功ノ封侯ヲ得ヘキ無ハ何故ソト。王朔曰。君自ラ省ミヨ。心ノ中ニ悔恨有ヘシト。李広曰。我隴西ノ大守タリシトキ羌ヲ伐ツ。其時降者八百余人ヲ誘テ。同日ニ殺ス。今ニ至ルマテ悔恨スト。王朔曰。禍ハ已ニ降ル者ヲ殺スヨリ大ナルハナシ。此将軍ノ侯ヲ得サル所以ナリト。此等ノ事実モ。擴メ思惟セハ。業果アルコトモ信セラルルシヤ。

現代語訳

漢書などに次の話がある。李広は才気が並ぶ者もないほどであった。匈奴は彼を漢の飛将軍と呼んだ。文帝は称賛して、建国の初めに生まれていたなら、万戸侯など言うに足りなかったろうに、と言った。呉楚七国が反乱を起こした時から、匈奴との戦いがあった頃にかけて、大小七十余りの戦いに加わり、至る所で功を立てた。けれども爵位も領地も得られず、官位は九卿を越えなかった。老年になって、大将軍衛青に従って匈奴を討った時、道に迷って期限に遅れた。大将軍は人を遣わし、軍を失った次第を朝廷へ奏上せよ、幕府に参って取り調べの調書を差し出せ、と言った。李広はこれに憤って自ら首をはねた。李広はかつて雲気を見て占う王朔とくつろいで語ったことがある。漢が匈奴を撃つようになって以来、私は必ずその中にいた。諸部隊の校尉以下、才能が人並みにも及ばない者でさえ、軍功によって侯となった者が数十人いる。私はこの者たちに劣らないのに、とうとう封侯を得るほどのわずかな功も無いのはなぜか、と。王朔は言った。あなたは自らを省みなさい。心の中に悔やんでいることがあるはずだ、と。李広は言った。私が隴西の太守であった時、羌を討った。その時降伏した者八百余人を欺いて誘い、同じ日に殺した。今に至るまで悔やんでいる、と。王朔は言った。禍は、すでに降伏した者を殺すより大きなものはない。これが将軍が侯になれない理由である、と。これらの事実も、押し広げて考えるならば、業の果報があることも信じられるのである。

解説

史記・漢書の李将軍列伝に伝わる逸話である。李広は前漢の武将で、匈奴に飛将軍と恐れられながら、ついに列侯になれず、最後は道に迷った責任を問われて自決した。その不遇の理由を問われた王朔は、降伏した者を欺いて殺した過去を挙げる。尊者はこれを、中国の史書にも業の果報を認める見方がある例として引く。能力や実績があっても、かつて踏み越えた一線が後の運を塞ぐことがある。仕事で結果が伴わないとき、自分の側に省みるべきことはないかを問う話として読める。

この章句が説くこと

因果悔恨信義李広漢書

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