師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第五・不綺語戒

凡ソ端人君子ノ憂ハ。道ノ行レヌ處ニ在ル。細民小人ノ苦ハ。貧ヲ第一トス。論語ニ飯疏食飮水。曲肱而枕之。樂亦在其中矣ト云。莊子ニ我ハ尾ヲ泥中ニ曳ント云。陶潛ハ今日ハ是ニシテ昨日ハ非ナリシコトヲ覺ユト云。世相ハ千變萬化サモアラバアレ。有道ノ士ノ道ヲ以テ樂トスルハ一シヤ。若道ヲ樂マハ。絲竹管絃ノ及フ所ニアラズ。マシテ狂言綺語トハ同日ノ論ニハアラスシヤ。

新字:凡ソ端人君子ノ憂ハ。道ノ行レヌ処ニ在ル。細民小人ノ苦ハ。貧ヲ第一トス。論語ニ飯疏食飲水。曲肱而枕之。楽亦在其中矣ト云。荘子ニ我ハ尾ヲ泥中ニ曳ント云。陶潜ハ今日ハ是ニシテ昨日ハ非ナリシコトヲ覚ユト云。世相ハ千変万化サモアラバアレ。有道ノ士ノ道ヲ以テ楽トスルハ一シヤ。若道ヲ楽マハ。糸竹管絃ノ及フ所ニアラズ。マシテ狂言綺語トハ同日ノ論ニハアラスシヤ。

書き下し

凡ソ端人君子ノ憂ハ。道ノ行レヌ処ニ在ル。細民小人ノ苦ハ。貧ヲ第一トス。論語ニ飯疏食飲水。曲肱而枕之。楽亦在其中矣ト云。荘子ニ我ハ尾ヲ泥中ニ曳ント云。陶潜ハ今日ハ是ニシテ昨日ハ非ナリシコトヲ覚ユト云。世相ハ千変万化サモアラバアレ。有道ノ士ノ道ヲ以テ楽トスルハ一シヤ。若道ヲ楽マハ。糸竹管絃ノ及フ所ニアラズ。マシテ狂言綺語トハ同日ノ論ニハアラスシヤ。

現代語訳

およそ端正な人や君子の憂いは、道が行われないところにある。庶民や小人の苦しみは、貧しさを第一とする。論語に、粗末な飯を食べ水を飲み、肘を曲げて枕とする、楽しみはまたその中にある、と言う。荘子に、わたしは泥の中で尾を曳いていたい、と言う。陶潜は、今日が是であって昨日は非であったことを悟る、と言う。世の相は千変万化、どうであってもかまわない。道ある士が道をもって楽しみとするのは一つである。もし道を楽しむなら、糸竹管絃の及ぶところではない。まして狂言綺語とは同日の論ではないのである。

解説

君子の憂いは道が行われないこと、庶民の苦しみはまず貧しさ、と対比したうえで、道を楽しむ人の境地が三つの言葉で示される。『論語』述而篇の「疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす、楽しみ亦其の中に在り」、『荘子』秋水篇で宰相の地位を断り泥の中で尾を曳く亀でいたいと言った話、陶淵明「帰去来辞」の「今是にして昨非なるを覚る」である。境遇がどう変わっても道を楽しむ心は一つだという結びは、豊かさに左右されない幸福のあり方を教えてくれる。

この章句が説くこと

楽道清貧君子論語荘子陶淵明

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる