十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
安永三年甲午二月九日示衆。師云。今日ハ不兩舌戒ヲ說シヤ。此戒ハ平等性シヤ。和合ノ德シヤ。人ニ交テ友愛親好ノ心アルガ此戒ノ趣シヤ。菩薩ハ自ラ友愛親好ノ心ナルニ由テ。他ノ友愛親好ヲ喜ブ。誤テモ離間シテ他ノ親好ヲ破スルコトハナイ。此不兩舌戒カ直ニ菩薩ノ本性タルシヤ。此心一分全キ者カ人間ノ當分シヤ。若衆ニ及フ者カ人民ノ主タル德シヤ。此友愛親好。近クハ人ノ人タル道デ。家ニ在テ孝トナリ君ニ事テ忠トナリ。鄕黨朋友ノ交リ。ミナ和順スルシヤ。遠クハ緣ニフレテ法ヲ得ル。境ニ對シテ自心ヲ明ニスル。飛花落葉ニ無師自覺スル。一句一偈ノ中ニ無漏聖位ニ入ル。一切時一切處ミナ自心ト相應シテ。無上正覺ノ基本タルシヤ。通シテ世間ノ中ニ。小兒ノトキ兄弟睦キ者カ。長スレハ必ス父母ニ孝順ノ子トナル。家ニ在テ父母ニ孝順ナル者。後君ニ事テ必ス忠義ノ臣トナル。此者カ出家スレハ。必ス正法ヲ光顯ニスル。此不兩舌戒ハ其義廣大ナルコトシヤ。假令才藝中人ニ及ハス。智行庸流ニ異ナラヌ者モ。此友愛親好ノ心タニ全ケレハ。世間出世間ノ中ニ德者タルベキシヤ。
新字:安永三年甲午二月九日示衆。師云。今日ハ不両舌戒ヲ説シヤ。此戒ハ平等性シヤ。和合ノ徳シヤ。人ニ交テ友愛親好ノ心アルガ此戒ノ趣シヤ。菩薩ハ自ラ友愛親好ノ心ナルニ由テ。他ノ友愛親好ヲ喜ブ。誤テモ離間シテ他ノ親好ヲ破スルコトハナイ。此不両舌戒カ直ニ菩薩ノ本性タルシヤ。此心一分全キ者カ人間ノ当分シヤ。若衆ニ及フ者カ人民ノ主タル徳シヤ。此友愛親好。近クハ人ノ人タル道デ。家ニ在テ孝トナリ君ニ事テ忠トナリ。郷党朋友ノ交リ。ミナ和順スルシヤ。遠クハ縁ニフレテ法ヲ得ル。境ニ対シテ自心ヲ明ニスル。飛花落葉ニ無師自覚スル。一句一偈ノ中ニ無漏聖位ニ入ル。一切時一切処ミナ自心ト相応シテ。無上正覚ノ基本タルシヤ。通シテ世間ノ中ニ。小児ノトキ兄弟睦キ者カ。長スレハ必ス父母ニ孝順ノ子トナル。家ニ在テ父母ニ孝順ナル者。後君ニ事テ必ス忠義ノ臣トナル。此者カ出家スレハ。必ス正法ヲ光顕ニスル。此不両舌戒ハ其義広大ナルコトシヤ。仮令才芸中人ニ及ハス。智行庸流ニ異ナラヌ者モ。此友愛親好ノ心タニ全ケレハ。世間出世間ノ中ニ徳者タルベキシヤ。
書き下し
安永三年甲午二月九日示衆。師云。今日ハ不両舌戒ヲ説シヤ。此戒ハ平等性シヤ。和合ノ徳シヤ。人ニ交テ友愛親好ノ心アルガ此戒ノ趣シヤ。菩薩ハ自ラ友愛親好ノ心ナルニ由テ。他ノ友愛親好ヲ喜ブ。誤テモ離間シテ他ノ親好ヲ破スルコトハナイ。此不両舌戒カ直ニ菩薩ノ本性タルシヤ。此心一分全キ者カ人間ノ当分シヤ。若衆ニ及フ者カ人民ノ主タル徳シヤ。此友愛親好。近クハ人ノ人タル道デ。家ニ在テ孝トナリ君ニ事テ忠トナリ。郷党朋友ノ交リ。ミナ和順スルシヤ。遠クハ縁ニフレテ法ヲ得ル。境ニ対シテ自心ヲ明ニスル。飛花落葉ニ無師自覚スル。一句一偈ノ中ニ無漏聖位ニ入ル。一切時一切処ミナ自心ト相応シテ。無上正覚ノ基本タルシヤ。通シテ世間ノ中ニ。小児ノトキ兄弟睦キ者カ。長スレハ必ス父母ニ孝順ノ子トナル。家ニ在テ父母ニ孝順ナル者。後君ニ事テ必ス忠義ノ臣トナル。此者カ出家スレハ。必ス正法ヲ光顕ニスル。此不両舌戒ハ其義広大ナルコトシヤ。仮令才芸中人ニ及ハス。智行庸流ニ異ナラヌ者モ。此友愛親好ノ心タニ全ケレハ。世間出世間ノ中ニ徳者タルベキシヤ。
現代語訳
安永三年(一七七四)甲午二月九日、大衆に示された。師は言われた。今日は不両舌戒を説く。この戒は平等性である。和合の徳である。人と交わって友愛し親しみ睦む心があるのが、この戒の趣旨である。菩薩はみずから友愛親好の心であるから、他人の友愛親好を喜ぶ。誤っても仲を裂いて他人の親しみを壊すことはない。この不両舌戒がそのまま菩薩の本性なのである。この心が一分でも全い者が、人間としての本分である。もしそれが多くの人に及ぶなら、人民の主たる徳である。この友愛親好は、近くは人が人である道であって、家にあっては孝となり、君に仕えては忠となり、郷里や朋友との交わりもみな和らいで順調になる。遠くは縁に触れて法を得る。対象に向かって自分の心を明らかにする。飛ぶ花や落ちる葉に、師なくしてみずから悟る。一句一偈のうちに煩悩の漏れのない聖者の位に入る。いつでもどこでも、みな自分の心と相応して、無上の正しい悟りの基本となるのである。総じて世間では、幼いとき兄弟が睦まじい者は、成長すれば必ず父母に孝順な子となる。家にあって父母に孝順な者は、後に君に仕えて必ず忠義の臣となる。この者が出家すれば、必ず正法を輝かせる。この不両舌戒は、その意義が広大なのである。たとえ才芸が並の人に及ばず、智慧や行いが凡庸な人々と変わらない者でも、この友愛親好の心さえ全ければ、世間でも出世間でも徳のある者となるはずである。
解説

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