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十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中

習與性成ル。父母師長教導ノ力ニ由テ。善ヨリ善ニ移レトモ。其大抵ハ業相成熟シ來タコトハ。遷サレヌモノシヤ。堯ノ子ニ丹朱。舜ノ子ニ商均カ出ル。又瞽瞍カ子ニ舜モ有。鯀カ子ニ禹カ有ルト云コトシヤ。今日現在ニナス事愼ムヘキシヤ。智者ハ善惡ノ業。毫釐差ナキコトヲ知ル。君ニ忠ヲ竭シ。父母ニ孝ヲ盡シテ。君親ノ歡ヲ得ルトキカ。直ニ我福德ノ定ル時シヤ。君ヲ蔑ニシ。父母ヲ蔑ニシ。師教ニ悖テ。君父師僧ノ憂戚ヲ生スル時カ。直ニ我惡業苦報ノ成就スル時シヤ。後學ヲ教導シテ其慧解ヲ生セシムル時カ。直ニ我生生ノ處。慧業ノ成スル時シヤ。鳥獸ヲ殺スニ。彼カ苦ノ至極スル時カ。直ニ我生生天折ノ報ノ成就スル時シヤ。

新字:習与性成ル。父母師長教導ノ力ニ由テ。善ヨリ善ニ移レトモ。其大抵ハ業相成熟シ来タコトハ。遷サレヌモノシヤ。堯ノ子ニ丹朱。舜ノ子ニ商均カ出ル。又瞽瞍カ子ニ舜モ有。鯀カ子ニ禹カ有ルト云コトシヤ。今日現在ニナス事慎ムヘキシヤ。智者ハ善悪ノ業。毫釐差ナキコトヲ知ル。君ニ忠ヲ竭シ。父母ニ孝ヲ尽シテ。君親ノ歓ヲ得ルトキカ。直ニ我福徳ノ定ル時シヤ。君ヲ蔑ニシ。父母ヲ蔑ニシ。師教ニ悖テ。君父師僧ノ憂戚ヲ生スル時カ。直ニ我悪業苦報ノ成就スル時シヤ。後学ヲ教導シテ其慧解ヲ生セシムル時カ。直ニ我生生ノ処。慧業ノ成スル時シヤ。鳥獣ヲ殺スニ。彼カ苦ノ至極スル時カ。直ニ我生生天折ノ報ノ成就スル時シヤ。

書き下し

習与性成ル。父母師長教導ノ力ニ由テ。善ヨリ善ニ移レトモ。其大抵ハ業相成熟シ来タコトハ。遷サレヌモノシヤ。堯ノ子ニ丹朱。舜ノ子ニ商均カ出ル。又瞽瞍カ子ニ舜モ有。鯀カ子ニ禹カ有ルト云コトシヤ。今日現在ニナス事慎ムヘキシヤ。智者ハ善悪ノ業。毫釐差ナキコトヲ知ル。君ニ忠ヲ竭シ。父母ニ孝ヲ尽シテ。君親ノ歓ヲ得ルトキカ。直ニ我福徳ノ定ル時シヤ。君ヲ蔑ニシ。父母ヲ蔑ニシ。師教ニ悖テ。君父師僧ノ憂戚ヲ生スル時カ。直ニ我悪業苦報ノ成就スル時シヤ。後学ヲ教導シテ其慧解ヲ生セシムル時カ。直ニ我生生ノ処。慧業ノ成スル時シヤ。鳥獣ヲ殺スニ。彼カ苦ノ至極スル時カ。直ニ我生生天折ノ報ノ成就スル時シヤ。

現代語訳

習いは性とともに成る。父母や師や年長者の教え導く力によって、善から善へと移るけれども、そのおおよそは、業のありさまが成熟して来たことは移すことのできないものである。堯の子に丹朱が、舜の子に商均が出た。また瞽瞍の子に舜がおり、鯀の子に禹がいたということである。今日、現在になすことを慎むべきである。智者は、善悪の業にわずかの狂いもないことを知る。主君に忠を尽くし、父母に孝を尽くして、主君や親の喜びを得る時が、ただちに自分の福徳の定まる時である。主君を侮り、父母を侮り、師の教えに背いて、主君・父・師僧に憂い悲しみを生じさせる時が、ただちに自分の悪業と苦しみの報いの成就する時である。後進を教え導いてその智慧と理解を生じさせる時が、ただちに自分の生々世々の智慧の業の成る時である。鳥や獣を殺す時、その苦しみが極まる時が、ただちに自分の生々世々の夭折の報いの成就する時である。

解説

習いは性となるという古語を引きつつ、教育によって善に移ることはできても、業の大筋は動かないと尊者は言う。聖王堯・舜の子が不肖の丹朱・商均であり、愚かな瞽瞍の子が舜、治水に失敗した鯀の子が禹であったという例は、親の賢愚が子に直結しないことを示す。そこから一転して、だからこそ今の行いを慎めと説く。主君や親を喜ばせる時がそのまま自分の福徳の定まる時、後進を導く時が自分の智慧の育つ時、生き物を苦しめる時が自分の短命の報いの定まる時だという。報いは遠い未来ではなく、その瞬間に成り立っているという見方は、今日の一つ一つの振る舞いを重くする。

この章句が説くこと

忠孝習い慎み教導因果

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