十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
華嚴經ニ。邪見之罪亦令衆生墮三惡道。若生人中得二種果報。一者生邪見家。二者其心諂曲トアル。此三惡趣ニ墮スルヲ異熟果ト云。惡趣ヨリ出。タマタマ人間ニ生シテモ。幼少ヨリ邪見ヲナラヒテ其性ヲ成シ。或ハ惡友惡知識ニ遇テ邪教ヲ受ケ。其心モ自ラ諂ヒ曲ルトアル。此ヲ等流果ト云。世上華果マテモ淨妙ノ色香味ヲ失フトアル。是ヲ增上果ト云。恐ルヘキモノハ邪教シヤ。此邪教ニ由テ生レママノ善心ヲ失フ。畏ルヘキモノハ邪見シヤ。此妄分別ニ因テ人理天道ニモ違背スル。毫釐ノ差。動モスレハ千里ヲ謬ル。佛在世ノ增上慢ノ比丘。滅後ノ無垢友論師。新羅ノ順憬法師ナトノ事跡ヲモ憶念スヘキシヤ。法ノ中ニ於テ己見ヲ執スルハ有マシキコトソ。
新字:華厳経ニ。邪見之罪亦令衆生堕三悪道。若生人中得二種果報。一者生邪見家。二者其心諂曲トアル。此三悪趣ニ堕スルヲ異熟果ト云。悪趣ヨリ出。タマタマ人間ニ生シテモ。幼少ヨリ邪見ヲナラヒテ其性ヲ成シ。或ハ悪友悪知識ニ遇テ邪教ヲ受ケ。其心モ自ラ諂ヒ曲ルトアル。此ヲ等流果ト云。世上華果マテモ浄妙ノ色香味ヲ失フトアル。是ヲ增上果ト云。恐ルヘキモノハ邪教シヤ。此邪教ニ由テ生レママノ善心ヲ失フ。畏ルヘキモノハ邪見シヤ。此妄分別ニ因テ人理天道ニモ違背スル。毫釐ノ差。動モスレハ千里ヲ謬ル。仏在世ノ增上慢ノ比丘。滅後ノ無垢友論師。新羅ノ順憬法師ナトノ事跡ヲモ憶念スヘキシヤ。法ノ中ニ於テ己見ヲ執スルハ有マシキコトソ。
書き下し
華厳経ニ。邪見之罪亦令衆生堕三悪道。若生人中得二種果報。一者生邪見家。二者其心諂曲トアル。此三悪趣ニ堕スルヲ異熟果ト云。悪趣ヨリ出。タマタマ人間ニ生シテモ。幼少ヨリ邪見ヲナラヒテ其性ヲ成シ。或ハ悪友悪知識ニ遇テ邪教ヲ受ケ。其心モ自ラ諂ヒ曲ルトアル。此ヲ等流果ト云。世上華果マテモ浄妙ノ色香味ヲ失フトアル。是ヲ增上果ト云。恐ルヘキモノハ邪教シヤ。此邪教ニ由テ生レママノ善心ヲ失フ。畏ルヘキモノハ邪見シヤ。此妄分別ニ因テ人理天道ニモ違背スル。毫釐ノ差。動モスレハ千里ヲ謬ル。仏在世ノ增上慢ノ比丘。滅後ノ無垢友論師。新羅ノ順憬法師ナトノ事跡ヲモ憶念スヘキシヤ。法ノ中ニ於テ己見ヲ執スルハ有マシキコトソ。
現代語訳
華厳経に、邪見の罪もまた衆生を三悪道に堕とす。もし人の中に生まれれば、二種の果報を得る。一つには邪見の家に生まれる。二つにはその心がへつらい曲がる、とある。この三悪趣に堕ちるのを異熟果という。悪趣から出て、たまたま人間に生まれても、幼い時から邪見を習ってその性を成し、あるいは悪い友や悪い師に遇って邪な教えを受け、その心も自らへつらい曲がる、とある。これを等流果という。世の花や果実までも清らかで妙なる色・香・味を失う、とある。これを増上果という。恐るべきものは邪な教えである。この邪な教えによって、生まれたままの善い心を失う。畏るべきものは邪見である。この妄りな分別によって、人の理にも天の道にも背く。ほんのわずかの差が、ややもすれば千里を誤る。仏の在世の増上慢の比丘、滅後の無垢友論師、新羅の順憬法師などの事跡をも思い起こすべきである。法の中で自分の見解に執着することは、あってはならないことである。
解説

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