十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
又華嚴經ノ中ニ。此法ノ初メ聲聞緣覺ヨリ菩薩乃至無上道ニ通スルコトヲ示シテ此文有ルシヤ。又此上品十善業道。以智慧脩習心狹劣故。怖三界怖三界故。國大悲故。從他聞聲而解了故。成聲聞乘ト。此人タル道ヲ全クスル中ニ。智慧相應スレハ。四向四果ニ至ルシヤ。清涼ノ釋ニ。上ノ有漏ノ中。人善ヲ下品トシ。欲天ヲ中品トシ。色無色ヲ上品トス。今傳戒相承ニハ。輪王已上ノ十善ヲ上品ト名ツクル。此經ニ聲聞緣覺菩薩皆上品ノ十善ト云。後佛果ニ至テ上上品ノ十善ト云。此上中下。上上品ト云コトモ。凡慮差別ノ見ヲ以テ測ルヘキコトテハナキシヤ。此般ノ品類ハ。相對スル上ニ就テ三品九品ヲ分別スルコトソ。
新字:又華厳経ノ中ニ。此法ノ初メ声聞縁覚ヨリ菩薩乃至無上道ニ通スルコトヲ示シテ此文有ルシヤ。又此上品十善業道。以智慧脩習心狭劣故。怖三界怖三界故。国大悲故。従他聞声而解了故。成声聞乗ト。此人タル道ヲ全クスル中ニ。智慧相応スレハ。四向四果ニ至ルシヤ。清涼ノ釈ニ。上ノ有漏ノ中。人善ヲ下品トシ。欲天ヲ中品トシ。色無色ヲ上品トス。今伝戒相承ニハ。輪王已上ノ十善ヲ上品ト名ツクル。此経ニ声聞縁覚菩薩皆上品ノ十善ト云。後仏果ニ至テ上上品ノ十善ト云。此上中下。上上品ト云コトモ。凡慮差別ノ見ヲ以テ測ルヘキコトテハナキシヤ。此般ノ品類ハ。相対スル上ニ就テ三品九品ヲ分別スルコトソ。
書き下し
又華厳経ノ中ニ。此法ノ初メ声聞縁覚ヨリ菩薩乃至無上道ニ通スルコトヲ示シテ此文有ルシヤ。又此上品十善業道。以智慧脩習心狭劣故。怖三界怖三界故。国大悲故。従他聞声而解了故。成声聞乗ト。此人タル道ヲ全クスル中ニ。智慧相応スレハ。四向四果ニ至ルシヤ。清涼ノ釈ニ。上ノ有漏ノ中。人善ヲ下品トシ。欲天ヲ中品トシ。色無色ヲ上品トス。今伝戒相承ニハ。輪王已上ノ十善ヲ上品ト名ツクル。此経ニ声聞縁覚菩薩皆上品ノ十善ト云。後仏果ニ至テ上上品ノ十善ト云。此上中下。上上品ト云コトモ。凡慮差別ノ見ヲ以テ測ルヘキコトテハナキシヤ。此般ノ品類ハ。相対スル上ニ就テ三品九品ヲ分別スルコトソ。
現代語訳
また華厳経の中に、この法が、初めは声聞・縁覚から菩薩、さらには無上道に通じることを示して、この文があるのである。また、この上品の十善業道を、智慧によって修め習っても、心が狭く劣っているゆえに、三界を怖れ、三界を怖れるゆえに、大悲が欠けているゆえに、他から声を聞いて理解するゆえに、声聞乗を成就する、と。この人である道を全うする中で、智慧が相応すれば、四向四果に至るのである。清涼大師の解釈では、上の有漏の善の中で、人の善を下品とし、欲界の天を中品とし、色界・無色界を上品とする。今の伝戒の相承では、転輪王以上の十善を上品と名づける。この経では、声聞・縁覚・菩薩はみな上品の十善と言い、後に仏果に至って上上品の十善と言う。この上・中・下、上上品ということも、凡夫の考えの差別の見方で測るべきことではないのである。このような品の分類は、相対するものの上について三品や九品を分けることである。
解説

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