師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中

地獄モ。餓鬼モ。畜生モ。諸天モ。ソノ苦樂昇沈ハ懸ニ違フシヤナレトモ。其業種子ノ成就スル。中有ノ現スル。其道理ハ同キコトシヤ。經論ノ中ニ。諸天ノ中有ハ頭ヲ上ニシテ生スル。人間等ノ中有ハ鳥ノ飛カ如ク傍ニ往ク。地獄ノ中有ハ頭ヲ下ニ向テ高キヨリ墮ルカ如クトアルシヤ。又諸天ニ生スル中有ハ淨妙ノ珠ノ如ク。或ハ音樂等ヲ聞キ。或ハ淨妙ノ香ヲ嗅キ。或ハ清涼ノ風ニ觸テ適悅ノ樂ヲ得ルト云コトシヤ。人間等ハ苦樂相雜シ。淨穢相雜ストアル。其中福德ノ人ハ樂多ク。無福ノ者ハ苦惱多キトアル。

新字:地獄モ。餓鬼モ。畜生モ。諸天モ。ソノ苦楽昇沈ハ懸ニ違フシヤナレトモ。其業種子ノ成就スル。中有ノ現スル。其道理ハ同キコトシヤ。経論ノ中ニ。諸天ノ中有ハ頭ヲ上ニシテ生スル。人間等ノ中有ハ鳥ノ飛カ如ク傍ニ往ク。地獄ノ中有ハ頭ヲ下ニ向テ高キヨリ堕ルカ如クトアルシヤ。又諸天ニ生スル中有ハ浄妙ノ珠ノ如ク。或ハ音楽等ヲ聞キ。或ハ浄妙ノ香ヲ嗅キ。或ハ清涼ノ風ニ触テ適悦ノ楽ヲ得ルト云コトシヤ。人間等ハ苦楽相雑シ。浄穢相雑ストアル。其中福徳ノ人ハ楽多ク。無福ノ者ハ苦悩多キトアル。

書き下し

地獄モ。餓鬼モ。畜生モ。諸天モ。ソノ苦楽昇沈ハ懸ニ違フシヤナレトモ。其業種子ノ成就スル。中有ノ現スル。其道理ハ同キコトシヤ。経論ノ中ニ。諸天ノ中有ハ頭ヲ上ニシテ生スル。人間等ノ中有ハ鳥ノ飛カ如ク傍ニ往ク。地獄ノ中有ハ頭ヲ下ニ向テ高キヨリ堕ルカ如クトアルシヤ。又諸天ニ生スル中有ハ浄妙ノ珠ノ如ク。或ハ音楽等ヲ聞キ。或ハ浄妙ノ香ヲ嗅キ。或ハ清涼ノ風ニ触テ適悅ノ楽ヲ得ルト云コトシヤ。人間等ハ苦楽相雑シ。浄穢相雑ストアル。其中福徳ノ人ハ楽多ク。無福ノ者ハ苦悩多キトアル。

現代語訳

地獄も、餓鬼も、畜生も、諸天も、その苦楽や浮き沈みはかけ離れて違うけれども、その業の種子が成就すること、中有が現れることの道理は同じである。経論の中に、諸天の中有は頭を上にして生じる、人間などの中有は鳥が飛ぶように横に行く、地獄の中有は頭を下に向けて高い所から落ちるようである、とある。また諸天に生まれる中有は清らかで妙なる珠のようで、あるいは音楽などを聞き、あるいは清らかで妙なる香りを嗅ぎ、あるいは清涼な風に触れて心地よい楽しみを得るということである。人間などは苦と楽が入り混じり、浄と穢が入り混じるとある。その中で福徳のある人は楽が多く、福のない者は苦悩が多いとある。

解説

地獄・餓鬼・畜生・天と、行き先の苦楽はかけ離れていても、業の種が実り中有が現れる道理は同じだと尊者は言う。経論によれば、天に生まれる中有は頭を上にして昇り、人間に生まれる中有は鳥のように横へ飛び、地獄の中有は頭を下にして落ちていく。天へ向かう中有は清らかな珠のようで、音楽や香り、涼風に心地よさを覚え、人間は苦楽と浄穢が入り混じり、福徳によって楽の多少が分かれる。尊者はこれを経論の説として紹介している。向かう先によって途中の姿まで違うという描き方は、今どちらへ向かって生きているかを問いかける。

この章句が説くこと

中有六道業種子福徳苦楽経論

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる