十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
通鑑ニ。趙宋大祖時。永寧公主侍坐。與皇后同言曰。官家作天子日久。豈不能用黄金裝肩興。帝笑曰。我爲天下守財耳。豈可妄用ト。史記ニ。孝文帝時。卽位二十三年。宮室苑囿。車騎服御。無所增益。嘗欲作露臺召匠計之。直百金。帝曰。百金中民十家之產。吾奉先帝宮室常恐羞之何以臺ト。此等カ大君タル人ノ志ト云コトシヤ。
新字:通鑑ニ。趙宋大祖時。永寧公主侍坐。与皇后同言曰。官家作天子日久。豈不能用黄金装肩興。帝笑曰。我為天下守財耳。豈可妄用ト。史記ニ。孝文帝時。即位二十三年。宮室苑囿。車騎服御。無所增益。嘗欲作露台召匠計之。直百金。帝曰。百金中民十家之産。吾奉先帝宮室常恐羞之何以台ト。此等カ大君タル人ノ志ト云コトシヤ。
書き下し
通鑑ニ。趙宋大祖時。永寧公主侍坐。与皇后同言曰。官家作天子日久。豈不能用黄金装肩興。帝笑曰。我為天下守財耳。豈可妄用ト。史記ニ。孝文帝時。即位二十三年。宮室苑囿。車騎服御。無所增益。嘗欲作露台召匠計之。直百金。帝曰。百金中民十家之産。吾奉先帝宮室常恐羞之何以台ト。此等カ大君タル人ノ志ト云コトシヤ。
現代語訳
通鑑に、「宋の太祖の時、永寧公主がそばに侍って座り、皇后と一緒に言った。『陛下は天子となられて久しいのに、どうして黄金で輿を飾ることができないのですか』。帝は笑って言った。『私は天下のために財を守っているだけだ。どうしてみだりに用いることができようか』」と。史記に、「孝文帝の時、即位して二十三年、宮殿や庭園、車馬や衣服・調度に、増やしたものがなかった。かつて露台を作ろうとして、工匠を召して見積もらせた。値は百金であった。帝は言った。『百金は中流の民の十家分の財産である。私は先帝の宮殿を受け継いで、常にこれを辱めることを恐れている。どうして台など作ろうか』」と。これらが大君たる人の志ということである。
解説

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