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十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

此中コノ迷情ヲ起スハ。譬ヘハ翳眼ニ空華ヲ見ル如クシヤ。法性空中。妄ニ造作シテ自他ヲ見ル。此自他分上ニモ。平等ノ性和合ノ德ハ本來隱シ得ヌシヤ。看ヨ。自ハ他ニ對シテ其相ヲ顯ハス。他自ニ對シテ其相ヲ顯ハス。若相對ナケレバ。元來不可得シヤ。凡ソ法ヲ說ハ。唯相對ノ儀シヤ。看ヨ。生死ニ對シテ涅槃ヲ說。凡夫ニ對シテ聖者ヲ說。煩惱無明ニ對シテ菩提ヲ說類シヤ。此ニ至テハ。迷ノ源ニ達スレハ直ニ聖域ニ入ル。迷情ノ中ニ此心境ヲ見ル。此心境能所ノ中ニモ。平等ノ性和合ノ德ハ本來隱シ得ヌシヤ。看ヨ。能緣ノ心ハ境ニ由テ能トナル。所緣ノ境ハ心ニ由テ所トナル。心現スレハ境來ル。境來レハ憎愛生ス。若能所ヲ離ルレハ法元來不可得シヤ。凡ソ法ヲ論スルハ。唯コノ能所ノ差排シヤ。此ニ至テ能所各立シテ。唯心源ヲ見ルシヤ。

新字:此中コノ迷情ヲ起スハ。譬ヘハ翳眼ニ空華ヲ見ル如クシヤ。法性空中。妄ニ造作シテ自他ヲ見ル。此自他分上ニモ。平等ノ性和合ノ徳ハ本来隠シ得ヌシヤ。看ヨ。自ハ他ニ対シテ其相ヲ顕ハス。他自ニ対シテ其相ヲ顕ハス。若相対ナケレバ。元来不可得シヤ。凡ソ法ヲ説ハ。唯相対ノ儀シヤ。看ヨ。生死ニ対シテ涅槃ヲ説。凡夫ニ対シテ聖者ヲ説。煩悩無明ニ対シテ菩提ヲ説類シヤ。此ニ至テハ。迷ノ源ニ達スレハ直ニ聖域ニ入ル。迷情ノ中ニ此心境ヲ見ル。此心境能所ノ中ニモ。平等ノ性和合ノ徳ハ本来隠シ得ヌシヤ。看ヨ。能縁ノ心ハ境ニ由テ能トナル。所縁ノ境ハ心ニ由テ所トナル。心現スレハ境来ル。境来レハ憎愛生ス。若能所ヲ離ルレハ法元来不可得シヤ。凡ソ法ヲ論スルハ。唯コノ能所ノ差排シヤ。此ニ至テ能所各立シテ。唯心源ヲ見ルシヤ。

書き下し

此中コノ迷情ヲ起スハ。譬ヘハ翳眼ニ空華ヲ見ル如クシヤ。法性空中。妄ニ造作シテ自他ヲ見ル。此自他分上ニモ。平等ノ性和合ノ徳ハ本来隠シ得ヌシヤ。看ヨ。自ハ他ニ対シテ其相ヲ顕ハス。他自ニ対シテ其相ヲ顕ハス。若相対ナケレバ。元来不可得シヤ。凡ソ法ヲ説ハ。唯相対ノ儀シヤ。看ヨ。生死ニ対シテ涅槃ヲ説。凡夫ニ対シテ聖者ヲ説。煩悩無明ニ対シテ菩提ヲ説類シヤ。此ニ至テハ。迷ノ源ニ達スレハ直ニ聖域ニ入ル。迷情ノ中ニ此心境ヲ見ル。此心境能所ノ中ニモ。平等ノ性和合ノ徳ハ本来隠シ得ヌシヤ。看ヨ。能縁ノ心ハ境ニ由テ能トナル。所縁ノ境ハ心ニ由テ所トナル。心現スレハ境来ル。境来レハ憎愛生ス。若能所ヲ離ルレハ法元来不可得シヤ。凡ソ法ヲ論スルハ。唯コノ能所ノ差排シヤ。此ニ至テ能所各立シテ。唯心源ヲ見ルシヤ。

現代語訳

この中で迷いの情を起こすのは、たとえば目を病んだ者が空中に花を見るようなものである。法性の空の中で、みだりに作りなして自と他を見る。この自他の立場の上にも、平等の性と和合の徳は本来隠しおおせない。見よ。自は他に対してその姿を現す。他は自に対してその姿を現す。もし相対がなければ、元来とらえようがない。およそ法を説くのは、ただ相対のありさまである。見よ。生死に対して涅槃を説き、凡夫に対して聖者を説き、煩悩無明に対して菩提を説く類である。ここに至っては、迷いの源に達すればただちに聖者の境地に入る。迷いの情の中にこの心と対象を見る。この心と対象、主と客の中にも、平等の性と和合の徳は本来隠しおおせない。見よ。とらえる心は対象によって主となる。とらえられる対象は心によって客となる。心が現れれば対象が来る。対象が来れば憎しみと愛着が生じる。もし主と客を離れれば、法は元来とらえようがない。およそ法を論じるのは、ただこの主と客の配置である。ここに至って、主と客がそれぞれ立ちながら、ただ心の源を見るのである。

解説

自他の区別は、眼病の人が空中に見る花のように、迷いが作り出したものだと尊者は言う。しかしその迷いの中にも平等と和合は隠れようがない。自は他があってはじめて自として現れ、生死があって涅槃が説かれ、心は対象があって心となる。区別そのものが、実は互いに依り合う関係の表れなのである。能縁と所縁は、認識する側とされる側をいう仏教語である。相手がいてこそ自分の立場がある、と見直せば、対立の見え方が少し変わってくる。

この章句が説くこと

自他能所相対平等性和合迷情

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