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十善法語 / 巻第八・不貪欲戒

安永三年甲午二月二十三日示衆。師云。第八ノ不貪欲戒モ護持セ子ハナラヌコトシヤ。此戒ニ隨順スル者ハ。夜モ安穩シヤ。晝モ安穩シヤ。家居モ安穩シヤ。遊行モ安穩シヤ。無病長壽シヤ。獨居シテ憂ナキシヤ。世ニ交テ災害無シヤ。無漏聖道ノ因緣トナルシヤ。經中ニ貪瞋癡ヲ三根ト名ツケ。又三毒ト名ツク。又貪瞋邪見ヲ三道ト名ツク。十善戒ノ中。後三戒此ニヨリテ制スルシヤ。古ヨリ釋シテ境ニ染スルヲ貪ト名ツケ。忿怒ヲ瞋ト名ツケ。闇惑ヲ癡ト名ツクト云。謬執シテ理ニ乖クヲ邪ト目ツケ。邪心ニ推求スルヲ見ト說クト云。今此ニ貪欲ト云ハ。境ニ染着シテ心ニ希求スル義シヤ。此境ノ虛假ナルコトヲ知テ。希求ノ心ナキヲ不貪欲ト云。法アリテ此不貪欲ニ隨順スルヲ不貪欲戒ト云。

新字:安永三年甲午二月二十三日示衆。師云。第八ノ不貪欲戒モ護持セ子ハナラヌコトシヤ。此戒ニ随順スル者ハ。夜モ安穏シヤ。昼モ安穏シヤ。家居モ安穏シヤ。遊行モ安穏シヤ。無病長寿シヤ。独居シテ憂ナキシヤ。世ニ交テ災害無シヤ。無漏聖道ノ因縁トナルシヤ。経中ニ貪瞋痴ヲ三根ト名ツケ。又三毒ト名ツク。又貪瞋邪見ヲ三道ト名ツク。十善戒ノ中。後三戒此ニヨリテ制スルシヤ。古ヨリ釈シテ境ニ染スルヲ貪ト名ツケ。忿怒ヲ瞋ト名ツケ。闇惑ヲ痴ト名ツクト云。謬執シテ理ニ乖クヲ邪ト目ツケ。邪心ニ推求スルヲ見ト説クト云。今此ニ貪欲ト云ハ。境ニ染着シテ心ニ希求スル義シヤ。此境ノ虚仮ナルコトヲ知テ。希求ノ心ナキヲ不貪欲ト云。法アリテ此不貪欲ニ随順スルヲ不貪欲戒ト云。

書き下し

安永三年甲午二月二十三日示衆。師云。第八ノ不貪欲戒モ護持セ子ハナラヌコトシヤ。此戒ニ随順スル者ハ。夜モ安穏シヤ。昼モ安穏シヤ。家居モ安穏シヤ。遊行モ安穏シヤ。無病長寿シヤ。独居シテ憂ナキシヤ。世ニ交テ災害無シヤ。無漏聖道ノ因縁トナルシヤ。経中ニ貪瞋痴ヲ三根ト名ツケ。又三毒ト名ツク。又貪瞋邪見ヲ三道ト名ツク。十善戒ノ中。後三戒此ニヨリテ制スルシヤ。古ヨリ釈シテ境ニ染スルヲ貪ト名ツケ。忿怒ヲ瞋ト名ツケ。闇惑ヲ痴ト名ツクト云。謬執シテ理ニ乖クヲ邪ト目ツケ。邪心ニ推求スルヲ見ト説クト云。今此ニ貪欲ト云ハ。境ニ染着シテ心ニ希求スル義シヤ。此境ノ虚仮ナルコトヲ知テ。希求ノ心ナキヲ不貪欲ト云。法アリテ此不貪欲ニ随順スルヲ不貪欲戒ト云。

現代語訳

安永三年甲午(一七七四)二月二十三日、大衆に示された。師は言われた。第八の不貪欲戒も護持しなければならないことである。この戒に従う者は、夜も安穏である。昼も安穏である。家に居ても安穏である。出歩いても安穏である。病がなく長寿である。独りで居ても憂いがない。世間に交わっても災害がない。煩悩を離れた聖なる道の因縁となる。経の中に、貪・瞋・癡を三根と名づけ、また三毒と名づける。また貪・瞋・邪見を三道と名づける。十善戒のうち後の三戒は、これによって定められたのである。古来の解釈では、対象に染まることを貪と名づけ、怒ることを瞋と名づけ、暗く惑うことを癡と名づけると言う。誤って執着し理に背くことを邪と名づけ、邪な心で推し量り求めることを見と説く、と言う。今ここで貪欲と言うのは、対象に染着して心に求める意味である。この対象が虚ろで仮のものであることを知って、求める心がないことを不貪欲と言う。法としてこの不貪欲に従うことを不貪欲戒と言う。

解説

第八の不貪欲戒の講話の冒頭である。尊者はまず、この戒を守る者には昼も夜も安穏があるという功徳を並べ、続いて貪・瞋・癡の三毒、貪・瞋・邪見の三道という仏教の基本の枠組みの中に、十善の最後の三戒を位置づける。貪欲とは対象に心が染みつき、それを欲し求めることであり、対象が虚ろで仮のものだと見抜けば、求める心は起こらないと定義する。欲しいものを我慢で抑えるのではなく、対象の実相を知ることで求めが静まるという順序は、衝動的な買い物や地位への執着を振り返るときにも手がかりになる。

この章句が説くこと

不貪欲貪欲三毒十善安穏

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