十善法語 / 巻第三・不邪婬戒
天地ト相應スル。法性ト相應スル。易ニ有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮義有所錯。夫婦之道不可以不久也トアル。此等面白キシヤ。此易ハ道アル書シヤ。
新字:天地ト相応スル。法性ト相応スル。易ニ有天地然後有万物。有万物然後有男女。有男女然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後礼義有所錯。夫婦之道不可以不久也トアル。此等面白キシヤ。此易ハ道アル書シヤ。
書き下し
天地ト相応スル。法性ト相応スル。易ニ有天地然後有万物。有万物然後有男女。有男女然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後礼義有所錯。夫婦之道不可以不久也トアル。此等面白キシヤ。此易ハ道アル書シヤ。
現代語訳
天地と相応する。法性と相応する。易に、天地があってその後に万物があり、万物があってその後に男女があり、男女があってその後に父子があり、父子があってその後に君臣があり、君臣があってその後に上下があり、上下があってその後に礼儀を施すところがある。夫婦の道は久しくないわけにはいかない、とある。これらは面白いのである。この易は道のある書である。
解説
易の一節を引き、天地から万物、男女、父子、君臣、上下、礼儀へと秩序が生まれる順序を示す。夫婦はその連なりの要にあり、だから長く続くべきものだという。慈雲は儒教の経典を排斥せず、道のある書として認めており、ここでも仏教の法性の教えと重ね合わせている。社会のさまざまな関係は、まず身近な二人の結びつきから始まるという見方である。家庭や小さなチームの中の関係を丁寧に育てることが、大きな組織の礼儀や秩序を支える、という示唆として読める。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
易夫婦礼儀君臣法性
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