十善法語 / 巻第五・不綺語戒
尼ノ三衆モ甚深ナルコトシヤ。佛在世ニ衆多比丘尼皆已久集清淨白法近佛種智トアル。阿含ノ中諸律ノ中ニ。摩訶波閣波提。耶輸陀羅。蓮花色等。ミナ別德ノ稱アル。ソレヨリシテ滅後ニ至テモ賢聖跡ヲ繼テ出ツ。郞波菊多尊者ノトキ。一尼カ上首大德ノ凡位ニ居ルヲ察シテ。尊者自ラ莊嚴スヘシト云シ。羅什三藏ノ母ノ第三果ノ聖者タル。義淨三藏モ印度ノ尼衆ハ丈夫ノ志アルト稱ス。脂粉諸態ノ汗穢ヲ出テテ。持戒清涼ノ中ニ身ヲ潔クスル。憍慢妬忌ノ等類ヲ離レテ。寂靜無爲ノ衆ニ入ル。其道ヲ全セバ。ソノ樂ミハ絲竹管絃ノ及フ所ニアラズ。其禪定智慧ニ至テハ。大僧ニモ同スベキシヤ。支那ノ淨秀ノ行業。衆ノ規本トモナリ。諸天ノ隨侍モアリシ類。此ニ至テハ。男女ノ相ヲ論ズベキ處テハナキシヤ。
新字:尼ノ三衆モ甚深ナルコトシヤ。仏在世ニ衆多比丘尼皆已久集清浄白法近仏種智トアル。阿含ノ中諸律ノ中ニ。摩訶波閣波提。耶輸陀羅。蓮花色等。ミナ別徳ノ称アル。ソレヨリシテ滅後ニ至テモ賢聖跡ヲ継テ出ツ。郎波菊多尊者ノトキ。一尼カ上首大徳ノ凡位ニ居ルヲ察シテ。尊者自ラ荘厳スヘシト云シ。羅什三蔵ノ母ノ第三果ノ聖者タル。義浄三蔵モ印度ノ尼衆ハ丈夫ノ志アルト称ス。脂粉諸態ノ汗穢ヲ出テテ。持戒清涼ノ中ニ身ヲ潔クスル。憍慢妬忌ノ等類ヲ離レテ。寂静無為ノ衆ニ入ル。其道ヲ全セバ。ソノ楽ミハ糸竹管絃ノ及フ所ニアラズ。其禅定智慧ニ至テハ。大僧ニモ同スベキシヤ。支那ノ浄秀ノ行業。衆ノ規本トモナリ。諸天ノ随侍モアリシ類。此ニ至テハ。男女ノ相ヲ論ズベキ処テハナキシヤ。
書き下し
尼ノ三衆モ甚深ナルコトシヤ。仏在世ニ衆多比丘尼皆已久集清浄白法近仏種智トアル。阿含ノ中諸律ノ中ニ。摩訶波閣波提。耶輸陀羅。蓮花色等。ミナ別徳ノ称アル。ソレヨリシテ滅後ニ至テモ賢聖跡ヲ継テ出ツ。郎波菊多尊者ノトキ。一尼カ上首大徳ノ凡位ニ居ルヲ察シテ。尊者自ラ荘厳スヘシト云シ。羅什三蔵ノ母ノ第三果ノ聖者タル。義浄三蔵モ印度ノ尼衆ハ丈夫ノ志アルト称ス。脂粉諸態ノ汗穢ヲ出テテ。持戒清涼ノ中ニ身ヲ潔クスル。憍慢妬忌ノ等類ヲ離レテ。寂静無為ノ衆ニ入ル。其道ヲ全セバ。ソノ楽ミハ糸竹管絃ノ及フ所ニアラズ。其禅定智慧ニ至テハ。大僧ニモ同スベキシヤ。支那ノ浄秀ノ行業。衆ノ規本トモナリ。諸天ノ随侍モアリシ類。此ニ至テハ。男女ノ相ヲ論ズベキ処テハナキシヤ。
現代語訳
尼の三衆も甚だ深いことである。仏在世に、多くの比丘尼はみなすでに久しく清浄な白法を集め、仏の種智に近かった、とある。阿含の中、諸律の中に、摩訶波闍波提、耶輸陀羅、蓮華色などは、みな特別な徳の称がある。それより後、滅後に至っても、賢聖が跡を継いで出た。優波毱多尊者の時、一人の尼が、上首の大徳(尊者)が凡夫の位にいるのを察して、尊者は自ら荘厳すべきです、と言った。羅什三蔵の母は第三果の聖者であった。義浄三蔵も、インドの尼衆は丈夫の志がある、と称えた。脂粉や諸々の媚態の汚れを出て、持戒の清涼の中に身を清める。驕り高ぶりや妬みの類を離れて、寂静無為の衆に入る。その道を全うすれば、その楽しみは糸竹管絃の及ぶところではない。その禅定智慧に至っては、大僧にも等しいはずである。中国の浄秀の行業は衆の規範ともなり、諸天が付き従うこともあった類。ここに至っては、男女の相を論ずべきところではないのである。
解説

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