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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

四時ヲ樂ム者ハ。春陽ノ時ハ春陽ヲ樂ム。百花ノ開ク。衆鳥ノ哀鳴スル。皆ソノ興アルト云。夏熱ノ時ハ林樹ノ蓁ル。蟲蟻ノ奔走スル。皆ソノ興アルト云。秋天ノ□明。冬景ノ霜雪。ミナ其樂アルト云。俗情ノ者別ニ四季ノ景ヲ構造スルハ。小兒ノ戯ニヒトシト。此等皆其オモムキアルシヤ。漢魏六朝ノ者ノ賦ヲ作リ逸興ヲ寓スル處シヤ。此中世外ニ出頭スル處カ有ル。長明兼好ナトハ隱逸高趣ニ聞ナスヘキ處シヤ。此中此道ノ存スル處カアル。諸ノ羅漢緣覺ノ自ラ娛樂スル處。細審思察ノ者ノ自己ヲ省發スル處シヤ。已外山水ヲ愛シ。草木ヲ愛スルモ。ミナ其樂其人ニ在シヤ。誠ノ樂ト云フハ絲竹管絃モ末シヤ。マシテ綺語雜謔ノ中ニ有ヘキコトテハナイ。

新字:四時ヲ楽ム者ハ。春陽ノ時ハ春陽ヲ楽ム。百花ノ開ク。衆鳥ノ哀鳴スル。皆ソノ興アルト云。夏熱ノ時ハ林樹ノ蓁ル。虫蟻ノ奔走スル。皆ソノ興アルト云。秋天ノ□明。冬景ノ霜雪。ミナ其楽アルト云。俗情ノ者別ニ四季ノ景ヲ構造スルハ。小児ノ戯ニヒトシト。此等皆其オモムキアルシヤ。漢魏六朝ノ者ノ賦ヲ作リ逸興ヲ寓スル処シヤ。此中世外ニ出頭スル処カ有ル。長明兼好ナトハ隠逸高趣ニ聞ナスヘキ処シヤ。此中此道ノ存スル処カアル。諸ノ羅漢縁覚ノ自ラ娛楽スル処。細審思察ノ者ノ自己ヲ省発スル処シヤ。已外山水ヲ愛シ。草木ヲ愛スルモ。ミナ其楽其人ニ在シヤ。誠ノ楽ト云フハ糸竹管絃モ末シヤ。マシテ綺語雑謔ノ中ニ有ヘキコトテハナイ。

書き下し

四時ヲ楽ム者ハ。春陽ノ時ハ春陽ヲ楽ム。百花ノ開ク。衆鳥ノ哀鳴スル。皆ソノ興アルト云。夏熱ノ時ハ林樹ノ蓁ル。虫蟻ノ奔走スル。皆ソノ興アルト云。秋天ノ□明。冬景ノ霜雪。ミナ其楽アルト云。俗情ノ者別ニ四季ノ景ヲ構造スルハ。小児ノ戯ニヒトシト。此等皆其オモムキアルシヤ。漢魏六朝ノ者ノ賦ヲ作リ逸興ヲ寓スル処シヤ。此中世外ニ出頭スル処カ有ル。長明兼好ナトハ隠逸高趣ニ聞ナスヘキ処シヤ。此中此道ノ存スル処カアル。諸ノ羅漢縁覚ノ自ラ娛楽スル処。細審思察ノ者ノ自己ヲ省発スル処シヤ。已外山水ヲ愛シ。草木ヲ愛スルモ。ミナ其楽其人ニ在シヤ。誠ノ楽ト云フハ糸竹管絃モ末シヤ。マシテ綺語雑謔ノ中ニ有ヘキコトテハナイ。

現代語訳

四季を楽しむ者は、春の陽気の時は春の陽気を楽しむ。百花が開き、多くの鳥が哀しげに鳴く、みなその興があると言う。夏の暑い時は、林の木々が茂り、虫や蟻が走り回る、みなその興があると言う。秋の空の明るさ、冬の霜や雪、みなその楽しみがあると言う。俗な心の者がわざわざ四季の景を作り出すのは、子どもの遊びに等しい、と。これらみなその趣があるのである。漢魏六朝の人々が賦を作って高逸な興を託したところである。この中に世の外へ抜け出すところがある。鴨長明や兼好などは、隠逸の高い趣として聞くべきところである。この中にこの道の存するところがある。諸々の羅漢や縁覚が自ら楽しむところ、細かに思いを審らかにする者が自己を省み発するところである。そのほか山水を愛し、草木を愛するのも、みなその楽しみはその人にあるのである。まことの楽しみと言うのは、糸竹管絃(音楽)もその末である。まして綺語や雑談・戯れの中にあるはずのものではない。

解説

四季の移ろいを楽しむ心を、漢魏六朝の賦、鴨長明や兼好法師の隠逸、羅漢や縁覚の独り静かな境地へと重ねていく段である。わざわざ人工の景色を作り出すのは子どもの遊びだという指摘は、自然そのものを味わう力の方が大事だという意味だろう。そして尊者は、まことの楽しみにとっては音楽さえ末であり、まして綺語や戯れの中にはないと言い切る。楽しみはその人の側にある、という一句は、娯楽を外に買い求めがちな今日の暮らしにも問いを投げかける。

この章句が説くこと

楽しみ四季隠逸縁覚自然兼好

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