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十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中

ソノ處ニ心相カ移リ往クコト。天上ノ月ノ水中ニ影ヲ移ス如クシヤ。此國ニ假令百千萬ノ家ハ有ルヘキナレトモ。餘ハ此眼ノ所見デハナイ。唯其所生ノ家カ此中有眼根ノ所見シヤ。ソノ所見ノ家カ卽生處ノ定ル所シヤ。此中ニ次ノ生一期ノ氏族貧富。威勢高下定ルシヤ。此家姓氏族ト中有ノ念相ト。一ト云ヘカラス。異ト云ベカラス。此家姓氏族カ卽念ノ生スル處。念ノ生スル處カ卽次生ノ生處シヤ。其家ニタトヒ百人千人有モ。餘人ハ此中有ノ所見テハナイ。唯其父母ノミ目ニ見ユルトアル。此時兄弟姊妹嫡庶ノ分際カ定マル。此父母ト中有ノ念相ト。一ト云ベカラス。異ト云ヘカラス。此父母カ卽中有ノ念相ノ生スル處。念ノ生スル處カ卽次生ノ生處シヤ。

新字:ソノ処ニ心相カ移リ往クコト。天上ノ月ノ水中ニ影ヲ移ス如クシヤ。此国ニ仮令百千万ノ家ハ有ルヘキナレトモ。余ハ此眼ノ所見デハナイ。唯其所生ノ家カ此中有眼根ノ所見シヤ。ソノ所見ノ家カ即生処ノ定ル所シヤ。此中ニ次ノ生一期ノ氏族貧富。威勢高下定ルシヤ。此家姓氏族ト中有ノ念相ト。一ト云ヘカラス。異ト云ベカラス。此家姓氏族カ即念ノ生スル処。念ノ生スル処カ即次生ノ生処シヤ。其家ニタトヒ百人千人有モ。余人ハ此中有ノ所見テハナイ。唯其父母ノミ目ニ見ユルトアル。此時兄弟姊妹嫡庶ノ分際カ定マル。此父母ト中有ノ念相ト。一ト云ベカラス。異ト云ヘカラス。此父母カ即中有ノ念相ノ生スル処。念ノ生スル処カ即次生ノ生処シヤ。

書き下し

ソノ処ニ心相カ移リ往クコト。天上ノ月ノ水中ニ影ヲ移ス如クシヤ。此国ニ仮令百千万ノ家ハ有ルヘキナレトモ。余ハ此眼ノ所見デハナイ。唯其所生ノ家カ此中有眼根ノ所見シヤ。ソノ所見ノ家カ即生処ノ定ル所シヤ。此中ニ次ノ生一期ノ氏族貧富。威勢高下定ルシヤ。此家姓氏族ト中有ノ念相ト。一ト云ヘカラス。異ト云ベカラス。此家姓氏族カ即念ノ生スル処。念ノ生スル処カ即次生ノ生処シヤ。其家ニタトヒ百人千人有モ。余人ハ此中有ノ所見テハナイ。唯其父母ノミ目ニ見ユルトアル。此時兄弟姊妹嫡庶ノ分際カ定マル。此父母ト中有ノ念相ト。一ト云ベカラス。異ト云ヘカラス。此父母カ即中有ノ念相ノ生スル処。念ノ生スル処カ即次生ノ生処シヤ。

現代語訳

その所へ心のありさまが移って行くことは、天上の月が水中に影を移すようなものである。この国にたとえ百千万の家があるはずであっても、他はこの眼の見るところではない。ただその生まれる家だけが、この中有の眼の見るところである。その見る家が、すなわち生まれる所の定まる所である。この中で、次の生の一生の氏族や貧富、威勢の高下が定まるのである。この家の姓や氏族と中有の念のありさまとは、一つとも言えず、異なるとも言えない。この家の姓や氏族がすなわち念の生じる所であり、念の生じる所がすなわち次の生の生まれる所である。その家にたとえ百人千人いても、他の人はこの中有の見るところではない。ただその父母だけが目に見えるとある。この時、兄弟姉妹や嫡子・庶子の分際が定まる。この父母と中有の念のありさまとは、一つとも言えず、異なるとも言えない。この父母がすなわち中有の念のありさまの生じる所であり、念の生じる所がすなわち次の生の生まれる所である。

解説

中有が次の生へ向かう過程を、国から家へ、家から父母へと焦点を絞るように描く段である。天の月が水面に影を落とすように、心は縁ある所へ移っていく。無数の家の中から生まれる家だけが見え、その家の大勢の人の中から父母だけが見える。そこで氏族や貧富、兄弟の順や嫡庶の別までが定まるという。見えるものと心が一つとも別とも言えず、見える所がそのまま生まれる所だという論は、ここでも繰り返される。人は無数の可能性の中から、縁に引かれて特定の場所と人に出会っていくという見方は、今の出会いの重さを考えさせる。

この章句が説くこと

中有父母念相生処

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