十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
此資財器物ヲ僧伽物ト云。佛世ノ賢聖ヨリ今日ノ凡小マテ。同一和合。身心依住シテ道業ヲ修習スルノ資緣タルシヤ。一床モ法アリテ受用ス。一器モ法アリテ受用ス。ソノ受用ニ隨テ施主福業ヲ成就ス。佛說ニ此ヲ事在ノ無作ト名ツクルジヤ。律中ニ世尊自ラ受用ノ式ヲ定タマフ。大智大德迦葉舎利弗ノ如キモ。大根大機文殊彌勒ノ如キモ。敢テ其令ヲ超ルコトナキシヤ。例ヲ擧テ云ハ。僧ノ諸ノ敷具コレヲ露地ニ用ヒス。若他處ニ去ニ收護ノ法アルコトシヤ。一器モ法ヲ備テ存在スルシヤ。一僧モ法ヲ闕ズシテ受用スルシヤ。知事トナル者ハ殊ニ分付ノ法ヲ知ヘキトアル。晨粥中齋コレヲ僧食ト云。亦聖制アルシヤ。佛世ヨリ今日マテ。受用ミナ法ニ順スルシヤ。調宰ソノ人定ル。是ヲ淨人ト云。春磨ソノ處定ル。是ヲ淨地ト云。時有テ用ル。時ナラネハ用ヒヌ。水ニモ時水非時水ヲ分ツ類シヤ。受用ニ至テ上中下座。凡聖齊ク受用ス。維摩經ニ。於食平等者於法平等トアル。
新字:此資財器物ヲ僧伽物ト云。仏世ノ賢聖ヨリ今日ノ凡小マテ。同一和合。身心依住シテ道業ヲ修習スルノ資縁タルシヤ。一床モ法アリテ受用ス。一器モ法アリテ受用ス。ソノ受用ニ随テ施主福業ヲ成就ス。仏説ニ此ヲ事在ノ無作ト名ツクルジヤ。律中ニ世尊自ラ受用ノ式ヲ定タマフ。大智大徳迦葉舎利弗ノ如キモ。大根大機文殊弥勒ノ如キモ。敢テ其令ヲ超ルコトナキシヤ。例ヲ挙テ云ハ。僧ノ諸ノ敷具コレヲ露地ニ用ヒス。若他処ニ去ニ収護ノ法アルコトシヤ。一器モ法ヲ備テ存在スルシヤ。一僧モ法ヲ闕ズシテ受用スルシヤ。知事トナル者ハ殊ニ分付ノ法ヲ知ヘキトアル。晨粥中斎コレヲ僧食ト云。亦聖制アルシヤ。仏世ヨリ今日マテ。受用ミナ法ニ順スルシヤ。調宰ソノ人定ル。是ヲ浄人ト云。春磨ソノ処定ル。是ヲ浄地ト云。時有テ用ル。時ナラネハ用ヒヌ。水ニモ時水非時水ヲ分ツ類シヤ。受用ニ至テ上中下座。凡聖斉ク受用ス。維摩経ニ。於食平等者於法平等トアル。
書き下し
此資財器物ヲ僧伽物ト云。仏世ノ賢聖ヨリ今日ノ凡小マテ。同一和合。身心依住シテ道業ヲ修習スルノ資縁タルシヤ。一床モ法アリテ受用ス。一器モ法アリテ受用ス。ソノ受用ニ随テ施主福業ヲ成就ス。仏説ニ此ヲ事在ノ無作ト名ツクルジヤ。律中ニ世尊自ラ受用ノ式ヲ定タマフ。大智大徳迦葉舎利弗ノ如キモ。大根大機文殊弥勒ノ如キモ。敢テ其令ヲ超ルコトナキシヤ。例ヲ挙テ云ハ。僧ノ諸ノ敷具コレヲ露地ニ用ヒス。若他処ニ去ニ収護ノ法アルコトシヤ。一器モ法ヲ備テ存在スルシヤ。一僧モ法ヲ闕ズシテ受用スルシヤ。知事トナル者ハ殊ニ分付ノ法ヲ知ヘキトアル。晨粥中斎コレヲ僧食ト云。亦聖制アルシヤ。仏世ヨリ今日マテ。受用ミナ法ニ順スルシヤ。調宰ソノ人定ル。是ヲ浄人ト云。春磨ソノ処定ル。是ヲ浄地ト云。時有テ用ル。時ナラネハ用ヒヌ。水ニモ時水非時水ヲ分ツ類シヤ。受用ニ至テ上中下座。凡聖斉ク受用ス。維摩経ニ。於食平等者於法平等トアル。
現代語訳
この資財や器物を僧伽物という。仏の世の賢聖から今日の凡夫や小乗の者まで、同一に和合し、身心を依りどころとして道業を修習するための資縁である。一つの床も法によって受用する。一つの器も法によって受用する。その受用に従って施主が福業を成就する。仏の説にこれを、事物に宿る無作と名づけるのである。律の中に世尊がみずから受用の式を定められた。大智大徳の迦葉や舎利弗のような人も、大根大機の文殊や弥勒のような人も、あえてその命を越えることはない。例を挙げて言えば、僧の諸々の敷物は、これを露地で使わない。もし他所へ去るときには、片付けて守る法があるのである。一つの器も法を備えて存在する。一人の僧も法を欠かさずに受用する。知事となる者は、特に分け与える法を知るべきである、とある。朝の粥と昼の斎、これを僧食という。これにもまた聖なる制がある。仏の世から今日まで、受用はみな法に順う。調理する人は定まっている。これを浄人という。臼でつき磨く場所は定まっている。これを浄地という。時があって用いる。時でなければ用いない。水にも時水と非時水を分ける類である。受用に至っては、上座・中座・下座、凡夫も聖者も等しく受用する。維摩経に、食において平等な者は法においても平等である、とある。
解説
この章句が説くこと
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