十善法語 / 巻第四・不妄語戒
又春秋ノ時。晉ノ荀吳皷ヲ圍ム。皷城ノ一人城ヲヒキヰ降ント請フ。穆子コレヲ許サス。左右ノ者ミナ云。兵ヲ勞セズシテ城ヲ獲ル。何故許ササル。穆子曰。若是ヲ受テ賞ヲ行ハハ不忠不義ヲ賞スルニナラン。若コレヲ受テ賞セネハ信ヲ失フ。二途倶ニ道ニソムクト。使ヲツカハシテ叛人ノ名ヲ皷城ニ告テ刑セシム。後三月皷人降ント請。穆子曰。姑ク汝カ城ヲ守レ。猶食色有ト。軍吏曰。今日不義ナラス。民ヲ勞セスシテ城ヲ獲ルニ。何故許ササルト穆子曰。彼未タ力盡ズシテ降ルハ怠ナリ。怠ヲ買ハ道全カラスト其後皷人力竭食盡ルト告ク。皷ニ克チ軍ヲ全シテ。一人ヲモ戮セスト。此等モ面白キ事實シヤ。
新字:又春秋ノ時。晋ノ荀呉鼓ヲ囲ム。鼓城ノ一人城ヲヒキヰ降ント請フ。穆子コレヲ許サス。左右ノ者ミナ云。兵ヲ労セズシテ城ヲ獲ル。何故許ササル。穆子曰。若是ヲ受テ賞ヲ行ハハ不忠不義ヲ賞スルニナラン。若コレヲ受テ賞セネハ信ヲ失フ。二途倶ニ道ニソムクト。使ヲツカハシテ叛人ノ名ヲ鼓城ニ告テ刑セシム。後三月鼓人降ント請。穆子曰。姑ク汝カ城ヲ守レ。猶食色有ト。軍吏曰。今日不義ナラス。民ヲ労セスシテ城ヲ獲ルニ。何故許ササルト穆子曰。彼未タ力尽ズシテ降ルハ怠ナリ。怠ヲ買ハ道全カラスト其後鼓人力竭食尽ルト告ク。鼓ニ克チ軍ヲ全シテ。一人ヲモ戮セスト。此等モ面白キ事実シヤ。
書き下し
又春秋ノ時。晋ノ荀吳鼓ヲ囲ム。鼓城ノ一人城ヲヒキヰ降ント請フ。穆子コレヲ許サス。左右ノ者ミナ云。兵ヲ労セズシテ城ヲ獲ル。何故許ササル。穆子曰。若是ヲ受テ賞ヲ行ハハ不忠不義ヲ賞スルニナラン。若コレヲ受テ賞セネハ信ヲ失フ。二途倶ニ道ニソムクト。使ヲツカハシテ叛人ノ名ヲ鼓城ニ告テ刑セシム。後三月鼓人降ント請。穆子曰。姑ク汝カ城ヲ守レ。猶食色有ト。軍吏曰。今日不義ナラス。民ヲ労セスシテ城ヲ獲ルニ。何故許ササルト穆子曰。彼未タ力尽ズシテ降ルハ怠ナリ。怠ヲ買ハ道全カラスト其後鼓人力竭食尽ルト告ク。鼓ニ克チ軍ヲ全シテ。一人ヲモ戮セスト。此等モ面白キ事実シヤ。
現代語訳
また春秋の時、晋の荀呉が鼓の国を包囲した。鼓の城の一人が、城を率いて降ろうと願い出た。穆子(荀呉)はこれを許さなかった。左右の者がみな言った。兵を労せずに城を得られる。なぜ許さないのか。穆子が言った。もしこれを受けて賞を行えば、不忠不義を賞することになる。もしこれを受けて賞しなければ、信を失う。二つの道はともに道に背く、と。使者を遣わして、裏切ろうとした者の名を鼓の城に告げて刑に処させた。三か月後、鼓の人が降ろうと願い出た。穆子が言った。しばらくお前たちの城を守れ。まだ食糧のある顔色をしている、と。軍吏が言った。今度は不義ではない。民を労せずに城を得られるのに、なぜ許さないのか。穆子が言った。彼らがまだ力を尽くさずに降るのは怠りである。怠りを買えば道が全うされない、と。その後、鼓の人が力尽き食糧も尽きたと告げた。鼓に勝ち、軍を全うして、一人も殺さなかった、と。これらも面白い事実である。
解説

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『五常訓』巻之五・信若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはば、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかかはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、惟義の在る所のみ。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。
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『文武訓』文訓下之末一道理なきことを、見聞きして信ずるは愚なり。理なきいつはりごとを、まことと心得てみだりに信ずるは、知なきが故なり。又理あることを知らずして信ぜざるは、尤愚なり。理あるすぢを以て、いつはりて人をあざむくは、智者も欺かるることあり。
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国語・晋語三恵公既に位に即き、乃ち秦の賂に背く。丕鄭をして秦に聘せしめ、且つ之を謝せしむ。而して里克を殺して曰く、「子二君と一大夫とを殺す。子の君為る者は、亦難からずや」と。 丕鄭秦に如きて賂を緩くするを謝し、乃ち穆公に謂いて曰く、「君厚く問いて以て呂甥・郤称・冀芮を召して之を止め、師を以て公子重耳を奉ぜよ。臣の属内に作(おこ)らば、晋君必ず出でん」と。穆公泠至(れいし)をして報問せしめ、且つ三大夫を召す。鄭や客と将に事を行わんとす。冀芮曰く、「鄭の使いは薄くして報いは厚し。其の我を秦に言うや、必ず我を誘わしめん。殺さずんば、必ず難を作さん」と。是の故に丕鄭及び七輿大夫、共華(きょうか)・賈華・叔堅(しゅくけん)・騅歂(すいせん)・纍虎(るいこ)・特宮(とくきゅう)・山祁(さんき)を殺す。皆里・丕の党なり。丕豹(ひひょう)秦に出奔す。 丕鄭の秦より反るや、里克の死を聞き、共華に見えて曰く、「以て入るべきか」と。共華曰く、「二三子皆在りて及ばず。子は秦に使いす、可なり」と。丕鄭入り、君之を殺す。共賜(きょうし)共華に謂いて曰く、「子行かんか。其れ及ばん」と。共華曰く、「夫子の入るは、吾が謀なり。将に待たんとす」と。賜曰く、「孰か之を知らん」と。共華曰く、「不可なり。知りて之に背くは不信なり。謀りて人を困しむるは不智なり。困しみて死せざるは無勇なり。大悪三を任(にな)いて、行くとも将に安(いず)くにか入らん。子其れ行け、我は姑(しばら)く死を待たん」と。 丕鄭の子を豹と曰う。秦に出奔し、穆公に謂いて曰く、「晋君大いに其の衆を失う。君の賂に背き、里克を殺して、処る者を忌む。衆固より説(よろこ)ばず。今又臣の父及び七輿大夫を殺す。此れ其の党国に半ばす。君若し之を伐たば、其の君必ず出でん」と。穆公曰く、「衆を失わば安んぞ能く人を殺さん。且つ夫れ禍は唯だ斃(たお)るること無くんば、足る者は処らず、処る者は足らず、勝敗化するが若し。禍を以て違(さ)るも、孰か能く君を出ださん。爾(なんじ)我を俟て」と。
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