十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
不邪見戒ソノ身ニ有レハ。一切ノ人民。貴賤男女ヲ見ルトキニモ。山河大地ヲ見ルトキニモ。全ク因果報應ノ相シヤ。全ク眞如實相ノヨソホヒシヤ。一切ノ邪思惟分別。聖ヲ蔑ニシ賢ヲ謗リ。神祇ヲ侮リ。佛菩薩ヲ非毀スル惡賊煩惱ハヨリツカヌシヤ。此防非止惡ノ功能ガ。任運無功用ニ日夜ニ增長シテ暫モ息ヌ。譬ヘハ日月輪ノ常ニ運轉シテ萬國ヲ照ス如ク。艸木ノ種子朽敗セサレハ。枝葉花果日夜ニ增長スル如ク。獨樂ノ如ク。自鳴鐘ノ如ク。雪コカシノ如ク。境無邊ナレハ戒モ無邊。心無盡ナレハ戒モ無盡。此等ノ事ハ。淨持戒者ノ自ラ知ル所シヤ。世間富饒ナル者ナラネバ富饒ノ德ハ知ラヌ。位アル者ナラネハ位ノ尊キコトハ知ラヌ。詩人ナラネハ詩ノ巧拙ハ知ラヌ。學者ナラネハ文學ノ面白キコトハ知ラヌ。歌ヨミナラネハ歌ノヨシアシハ知ラヌ。隱者ナラテハ清閑ノ樂ハ知ラヌ。ソノ如ク。自ラ戒法ヲ護持スル人ニ非レハ戒法ノ尊重ナルコトハ知ラヌシヤ。
新字:不邪見戒ソノ身ニ有レハ。一切ノ人民。貴賤男女ヲ見ルトキニモ。山河大地ヲ見ルトキニモ。全ク因果報応ノ相シヤ。全ク真如実相ノヨソホヒシヤ。一切ノ邪思惟分別。聖ヲ蔑ニシ賢ヲ謗リ。神祇ヲ侮リ。仏菩薩ヲ非毀スル悪賊煩悩ハヨリツカヌシヤ。此防非止悪ノ功能ガ。任運無功用ニ日夜ニ增長シテ暫モ息ヌ。譬ヘハ日月輪ノ常ニ運転シテ万国ヲ照ス如ク。艸木ノ種子朽敗セサレハ。枝葉花果日夜ニ增長スル如ク。独楽ノ如ク。自鳴鐘ノ如ク。雪コカシノ如ク。境無辺ナレハ戒モ無辺。心無尽ナレハ戒モ無尽。此等ノ事ハ。浄持戒者ノ自ラ知ル所シヤ。世間富饒ナル者ナラネバ富饒ノ徳ハ知ラヌ。位アル者ナラネハ位ノ尊キコトハ知ラヌ。詩人ナラネハ詩ノ巧拙ハ知ラヌ。学者ナラネハ文学ノ面白キコトハ知ラヌ。歌ヨミナラネハ歌ノヨシアシハ知ラヌ。隠者ナラテハ清閑ノ楽ハ知ラヌ。ソノ如ク。自ラ戒法ヲ護持スル人ニ非レハ戒法ノ尊重ナルコトハ知ラヌシヤ。
書き下し
不邪見戒ソノ身ニ有レハ。一切ノ人民。貴賤男女ヲ見ルトキニモ。山河大地ヲ見ルトキニモ。全ク因果報応ノ相シヤ。全ク真如実相ノヨソホヒシヤ。一切ノ邪思惟分別。聖ヲ蔑ニシ賢ヲ謗リ。神祇ヲ侮リ。仏菩薩ヲ非毀スル悪賊煩悩ハヨリツカヌシヤ。此防非止悪ノ功能ガ。任運無功用ニ日夜ニ增長シテ暫モ息ヌ。譬ヘハ日月輪ノ常ニ運転シテ万国ヲ照ス如ク。艸木ノ種子朽敗セサレハ。枝葉花果日夜ニ增長スル如ク。独楽ノ如ク。自鳴鐘ノ如ク。雪コカシノ如ク。境無辺ナレハ戒モ無辺。心無尽ナレハ戒モ無尽。此等ノ事ハ。浄持戒者ノ自ラ知ル所シヤ。世間富饒ナル者ナラネバ富饒ノ徳ハ知ラヌ。位アル者ナラネハ位ノ尊キコトハ知ラヌ。詩人ナラネハ詩ノ巧拙ハ知ラヌ。学者ナラネハ文学ノ面白キコトハ知ラヌ。歌ヨミナラネハ歌ノヨシアシハ知ラヌ。隠者ナラテハ清閑ノ楽ハ知ラヌ。ソノ如ク。自ラ戒法ヲ護持スル人ニ非レハ戒法ノ尊重ナルコトハ知ラヌシヤ。
現代語訳
不邪見戒がその身にあれば、一切の人々、貴賤や男女を見る時にも、山河大地を見る時にも、すべてが因果の報いの姿であり、すべてが真如実相(ありのままの真実)のよそおいである。一切の邪な思惟分別、聖人を侮り賢者をそしり、神々を軽んじ、仏菩薩を非難するといった悪賊のような煩悩は寄りつかないのである。この非を防ぎ悪を止める働きが、自然のまま、ことさらの努力なしに日夜増してゆき、しばらくも止まない。たとえば、日月が常に巡って万国を照らすように、草木の種が朽ちなければ枝葉や花や実が日夜伸びてゆくように、独楽のように、自鳴鐘(機械時計)のように、雪ころがしのように、である。対する境が限りなければ戒も限りなく、心が尽きなければ戒も尽きない。これらのことは、清らかに戒を保つ者が自分で知るところである。世間で富み栄えている者でなければ富の徳はわからない。位のある者でなければ位の尊さはわからない。詩人でなければ詩の巧拙はわからない。学者でなければ学問の面白さはわからない。歌詠みでなければ歌の良し悪しはわからない。隠者でなければ清らかで静かな楽しみはわからない。それと同じく、自ら戒法を護り保つ人でなければ、戒法の尊さはわからないのである。
解説

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