十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
人ノ容貌モ此ニ准スルシヤ。春秋ノ時。孔父嘉ガ其妻艶色アリシ故其身ヲ亡シタ類。古今何レノ國ニモ多キト云コトシヤ。男子ニモセヨ。女人ニモセヨ。通人ヨリ勝ルハ先不祥ノ器シヤ。此モ眷屬ノ中ニ容貌端麗ナル者アルヲ棄ヨト云デハナイ。此ニハ道ノアルベキコトシヤ。大抵ハ萬事ヲ減シテ又減スレハ。天道ニモ人道ニモ背カヌト云コトシヤ。又自身ノ容貌ガ世ニ絕ルレハ。猶モ愼アルヘキコトシヤ。是モ男子ノ威嚴。女子ノ艶美。皆天ノ與フル一德ナル故。其守タニアラハ。天命モ爰ニ歸スル。人望モ爰ニ歸スル。一生其德ヲ全スベキシヤ。若其守カ疎ナレハ。不祥ノ器トナル。通途ノ人ヨリモ危キシヤ。
新字:人ノ容貌モ此ニ准スルシヤ。春秋ノ時。孔父嘉ガ其妻艶色アリシ故其身ヲ亡シタ類。古今何レノ国ニモ多キト云コトシヤ。男子ニモセヨ。女人ニモセヨ。通人ヨリ勝ルハ先不祥ノ器シヤ。此モ眷属ノ中ニ容貌端麗ナル者アルヲ棄ヨト云デハナイ。此ニハ道ノアルベキコトシヤ。大抵ハ万事ヲ減シテ又減スレハ。天道ニモ人道ニモ背カヌト云コトシヤ。又自身ノ容貌ガ世ニ絶ルレハ。猶モ慎アルヘキコトシヤ。是モ男子ノ威厳。女子ノ艶美。皆天ノ与フル一徳ナル故。其守タニアラハ。天命モ爰ニ帰スル。人望モ爰ニ帰スル。一生其徳ヲ全スベキシヤ。若其守カ疎ナレハ。不祥ノ器トナル。通途ノ人ヨリモ危キシヤ。
書き下し
人ノ容貌モ此ニ准スルシヤ。春秋ノ時。孔父嘉ガ其妻艶色アリシ故其身ヲ亡シタ類。古今何レノ国ニモ多キト云コトシヤ。男子ニモセヨ。女人ニモセヨ。通人ヨリ勝ルハ先不祥ノ器シヤ。此モ眷属ノ中ニ容貌端麗ナル者アルヲ棄ヨト云デハナイ。此ニハ道ノアルベキコトシヤ。大抵ハ万事ヲ減シテ又減スレハ。天道ニモ人道ニモ背カヌト云コトシヤ。又自身ノ容貌ガ世ニ絶ルレハ。猶モ慎アルヘキコトシヤ。是モ男子ノ威厳。女子ノ艶美。皆天ノ与フル一徳ナル故。其守タニアラハ。天命モ爰ニ帰スル。人望モ爰ニ帰スル。一生其徳ヲ全スベキシヤ。若其守カ疎ナレハ。不祥ノ器トナル。通途ノ人ヨリモ危キシヤ。
現代語訳
人の容貌もこれに準じる。春秋の時代、孔父嘉が、妻が艶やかな美しさを持っていたためにその身を滅ぼした類は、古今どの国にも多いということである。男子にせよ、女人にせよ、普通の人より勝れているのは、まず不祥の器である。これも、眷属の中に容貌端麗な者がいるのを捨てよ、と言うのではない。ここには道があるべきである。おおよそは、万事を減らしてまた減らせば、天道にも人道にも背かないということである。また自分の容貌が世に並外れていれば、なおさら慎みがあるべきである。これも、男子の威厳、女子の艶やかな美しさは、みな天の与える一つの徳であるから、その守りさえあれば、天命もここに帰し、人望もここに帰する。一生その徳を全うすべきである。もしその守りが疎かであれば、不祥の器となる。普通の人よりも危ういのである。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』時宜〔議に曰く、天子を挟みて以て諸侯に令するは、其の事一なり。之を以て成す有り、之を以て敗る有るは、何ぞや。対えて曰く、天下は一人の天下に非ざるなり。凶暴を肆にすれば、継体も以て自ら存するに足らず。人望の帰する所、匹夫も以て洪業を成すべし。夫れ天命の底止するは、唯だ楽しみて推す。自りて来たる有り。火徳競わず、群豪虎争するに当たりて、漢祚衰うと雖も、人望未だ改まらず。故に魏武は天子を奉じて以て人の欲に従い、大順に仗りて以て宇内に令し、天下の士をして忠を霸図に委ねしむ。伝に曰く「諸侯を求むるは王に勤むるに如くは莫し」と。斯の謂いなり。斉の時は則ち然らず。溥天乱を思い、海水群飛す。百姓能に与するの秋に当たり、三霊卜を改むるの日に属す。若し旧主を挟まば、亦た違わずや。故に伝は萇弘の天の壊さんと欲する所を興さんと欲するを譏り、而して蔡墨の雷乾に乗るの説を美とす。是を以て其の事一なり、以て之を成す有り、以て之を敗る有るなり。〕
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『呻吟語』内篇・修身・我主張して天に由らず富貴福澤を得んと要するは、天主張して、我に由るを得ず。賢人君子と做らんと要するは、我主張して、天に由るを得ず。
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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