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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

戒未具足ノ人ヲ沙彌ト名ツク。此未具足ト云モ。平等法中ノ階級ニシテ。世間等位ノ例デハナイ。其內證ニ至テハ。耆宿モ闕ルトコロアル。年少モ勝ル處アル。經中ニ毒龍ト火ト王子ト沙門トハ少ナルモ侮ルマジキトアル。其童眞ノ行。實ニ大道ノ基トナルシヤ。法華十六沙彌ハ諸根通利智慧明了トアル。阿育王ノ時。外道ヲ呑嚼スル沙彌アリ。瓶中ニ浴スル沙彌アリ。佛世ノ鈞提沙彌ハ舍利弗ヲ供養セン爲ニ。德無學果ニ登テ。戒未具足ノ位ニ居ス。末世ニモ迦濕彌羅國山中古伽藍ニ羅漢沙彌群徒遊戯ス。石壁ニ手指摩畫セル跡アリ。山峯ニ馬ニ乘テ往來セル遺跡アリト云。藍摩國ノ沙彌伽藍ノ初開ハ。大比丘カ佛塔ヲ供養セン爲ニ。自ラ位階ヲ降シテ。荒草ヲ鋤キ。時華ヲ採撥セシト云。其德アリテ其位ニ居ラヌハ。實ニ貴トスベキシヤ。此處ニ樂ミアルシヤ。好事上座ニ讓ル。苦事衆ニ先タツテ作シテ。此處ニ樂ミアルシヤ。夙ニ興キ晩ク寢テ和上阿閣梨諸ノ大僧ニ事ル。花ヲ採リ香火ヲ拈テ佛塔ノ前ニ供フ。此處ニ樂ミアルシヤ諸善功德ヲ增上スルシヤ。絲竹管絃ヲ玩フベキデナイ。マシテ綺語ニ順隨スベキテナイ。

新字:戒未具足ノ人ヲ沙弥ト名ツク。此未具足ト云モ。平等法中ノ階級ニシテ。世間等位ノ例デハナイ。其内証ニ至テハ。耆宿モ闕ルトコロアル。年少モ勝ル処アル。経中ニ毒竜ト火ト王子ト沙門トハ少ナルモ侮ルマジキトアル。其童真ノ行。実ニ大道ノ基トナルシヤ。法華十六沙弥ハ諸根通利智慧明了トアル。阿育王ノ時。外道ヲ呑嚼スル沙弥アリ。瓶中ニ浴スル沙弥アリ。仏世ノ鈞提沙弥ハ舎利弗ヲ供養セン為ニ。徳無学果ニ登テ。戒未具足ノ位ニ居ス。末世ニモ迦湿弥羅国山中古伽藍ニ羅漢沙弥群徒遊戯ス。石壁ニ手指摩画セル跡アリ。山峯ニ馬ニ乗テ往来セル遺跡アリト云。藍摩国ノ沙弥伽藍ノ初開ハ。大比丘カ仏塔ヲ供養セン為ニ。自ラ位階ヲ降シテ。荒草ヲ鋤キ。時華ヲ採撥セシト云。其徳アリテ其位ニ居ラヌハ。実ニ貴トスベキシヤ。此処ニ楽ミアルシヤ。好事上座ニ譲ル。苦事衆ニ先タツテ作シテ。此処ニ楽ミアルシヤ。夙ニ興キ晩ク寝テ和上阿閣梨諸ノ大僧ニ事ル。花ヲ採リ香火ヲ拈テ仏塔ノ前ニ供フ。此処ニ楽ミアルシヤ諸善功徳ヲ增上スルシヤ。糸竹管絃ヲ玩フベキデナイ。マシテ綺語ニ順随スベキテナイ。

書き下し

戒未具足ノ人ヲ沙弥ト名ツク。此未具足ト云モ。平等法中ノ階級ニシテ。世間等位ノ例デハナイ。其内証ニ至テハ。耆宿モ闕ルトコロアル。年少モ勝ル処アル。経中ニ毒竜ト火ト王子ト沙門トハ少ナルモ侮ルマジキトアル。其童真ノ行。実ニ大道ノ基トナルシヤ。法華十六沙弥ハ諸根通利智慧明了トアル。阿育王ノ時。外道ヲ呑嚼スル沙弥アリ。瓶中ニ浴スル沙弥アリ。仏世ノ鈞提沙弥ハ舎利弗ヲ供養セン為ニ。徳無学果ニ登テ。戒未具足ノ位ニ居ス。末世ニモ迦湿弥羅国山中古伽藍ニ羅漢沙弥群徒遊戯ス。石壁ニ手指摩画セル跡アリ。山峯ニ馬ニ乗テ往来セル遺跡アリト云。藍摩国ノ沙弥伽藍ノ初開ハ。大比丘カ仏塔ヲ供養セン為ニ。自ラ位階ヲ降シテ。荒草ヲ鋤キ。時華ヲ採撥セシト云。其徳アリテ其位ニ居ラヌハ。実ニ貴トスベキシヤ。此処ニ楽ミアルシヤ。好事上座ニ譲ル。苦事衆ニ先タツテ作シテ。此処ニ楽ミアルシヤ。夙ニ興キ晩ク寝テ和上阿閣梨諸ノ大僧ニ事ル。花ヲ採リ香火ヲ拈テ仏塔ノ前ニ供フ。此処ニ楽ミアルシヤ諸善功徳ヲ增上スルシヤ。糸竹管絃ヲ玩フベキデナイ。マシテ綺語ニ順随スベキテナイ。

現代語訳

戒をまだ具足していない人を沙弥と名づける。この未具足と言うのも、平等の法の中での階級であって、世間の等級や位の例ではない。その内なる悟りに至っては、年長の宿老にも欠けるところがあり、年少にも勝るところがある。経の中に、毒龍と火と王子と沙門とは、小さくても侮ってはならない、とある。その童真の行いは、実に大道の基となるのである。法華経の十六沙弥は、諸根が通じ智慧が明らかであった、とある。阿育王の時、外道を呑み噛む沙弥がいた。瓶の中で水浴びする沙弥がいた。仏世の均提沙弥は、舎利弗を供養するために、無学果(阿羅漢果)に登って(その徳がありながら)、戒未具足の位にいた。末世にも、迦湿弥羅国の山中の古い伽藍に羅漢の沙弥たちが遊び戯れ、石壁に手指でなぞり描いた跡があり、山の峰に馬に乗って往来した遺跡がある、と言う。藍摩国の沙弥伽藍の始まりは、大比丘が仏塔を供養するために、自ら位階を降ろして、荒れ草を鋤き、季節の花を摘んだ、と言う。その徳がありながらその位にいないのは、実に尊ぶべきことである。ここに楽しみがあるのである。好い事は上座に譲る。苦しい事は衆に先立ってする。ここに楽しみがあるのである。朝早く起き夜遅く寝て、和上・阿闍梨・諸々の大僧に仕える。花を摘み香火を捧げて仏塔の前に供える。ここに楽しみがあって、諸々の善き功徳を増すのである。糸竹管絃を玩ぶべきではない。まして綺語に従うべきではない。

解説

見習いの僧である沙弥の楽しみが説かれる。沙弥という位は平等の法の中での段階にすぎず、悟りにおいては年長者に欠けるところも年少者に勝るところもある。小さくても侮れない四つのものの話や、『法華経』の十六王子の沙弥、舎利弗に仕えた均提沙弥、藍摩国で自ら位を降りて塔の草を刈った比丘などの例は『大唐西域記』などに見える。徳がありながら高い位に居座らず、好い事は譲り苦しい事は先にする姿は、新人にも熟練者にも通じる働き方の手本と言える。

この章句が説くこと

沙弥謙譲初心童真奉仕功徳

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