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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

出家カ在家ノ衣服ヲ着シ。在家ノ威儀ヲマネスル。皆身綺ニ屬スル。天竺ニモ菩提大寺ノ沙門カ。象馬車乘兵具ナトヲ蓄ヘ置テ。王者ニ擬セシ類。正シキ犯戒シヤ。何レノ國ニモ心ヲ用ヒサル者ハ。多ク此類ニ墮スルシヤ。大抵ハ房舍車乘。隨身ノ物具ニ至ルマテ。沙門ハ沙門ノ法ニ順スヘク。行住坐臥。着衣喫飯マテ。悉ク法有ルコトヲ知ヘキシヤ。今時世間ニ世僧官僧ナトト云類カ俗服ヲ着シ。俗人ノ威儀ヲマネスル。賢聖ノ儀ニハ違ヘトモ。其宗其寺ノ近古已來格式ニナリ來リシ事ハ。マツ其儘ニテヨキシヤ。身綺ニハナラヌシヤ。若嚴烈ニ論セハ。別威儀ヲ設テ賢聖ノ儀ニ違スル。皆有マシキコトシヤ。若外道ニ順スレハ。其罪更ニ重シ。袈裟木頭幡ノ如クナルハ。法滅ノ相ニ屬ス。草衣木食ミナ正則テナイ。

新字:出家カ在家ノ衣服ヲ着シ。在家ノ威儀ヲマネスル。皆身綺ニ属スル。天竺ニモ菩提大寺ノ沙門カ。象馬車乗兵具ナトヲ蓄ヘ置テ。王者ニ擬セシ類。正シキ犯戒シヤ。何レノ国ニモ心ヲ用ヒサル者ハ。多ク此類ニ堕スルシヤ。大抵ハ房舎車乗。随身ノ物具ニ至ルマテ。沙門ハ沙門ノ法ニ順スヘク。行住坐臥。着衣喫飯マテ。悉ク法有ルコトヲ知ヘキシヤ。今時世間ニ世僧官僧ナトト云類カ俗服ヲ着シ。俗人ノ威儀ヲマネスル。賢聖ノ儀ニハ違ヘトモ。其宗其寺ノ近古已来格式ニナリ来リシ事ハ。マツ其儘ニテヨキシヤ。身綺ニハナラヌシヤ。若厳烈ニ論セハ。別威儀ヲ設テ賢聖ノ儀ニ違スル。皆有マシキコトシヤ。若外道ニ順スレハ。其罪更ニ重シ。袈裟木頭幡ノ如クナルハ。法滅ノ相ニ属ス。草衣木食ミナ正則テナイ。

書き下し

出家カ在家ノ衣服ヲ着シ。在家ノ威儀ヲマネスル。皆身綺ニ属スル。天竺ニモ菩提大寺ノ沙門カ。象馬車乗兵具ナトヲ蓄ヘ置テ。王者ニ擬セシ類。正シキ犯戒シヤ。何レノ国ニモ心ヲ用ヒサル者ハ。多ク此類ニ堕スルシヤ。大抵ハ房舎車乗。随身ノ物具ニ至ルマテ。沙門ハ沙門ノ法ニ順スヘク。行住坐臥。着衣喫飯マテ。悉ク法有ルコトヲ知ヘキシヤ。今時世間ニ世僧官僧ナトト云類カ俗服ヲ着シ。俗人ノ威儀ヲマネスル。賢聖ノ儀ニハ違ヘトモ。其宗其寺ノ近古已来格式ニナリ来リシ事ハ。マツ其儘ニテヨキシヤ。身綺ニハナラヌシヤ。若厳烈ニ論セハ。別威儀ヲ設テ賢聖ノ儀ニ違スル。皆有マシキコトシヤ。若外道ニ順スレハ。其罪更ニ重シ。袈裟木頭幡ノ如クナルハ。法滅ノ相ニ属ス。草衣木食ミナ正則テナイ。

現代語訳

出家が在家の衣服を着け、在家の立ち居振る舞いを真似する、これはみな身綺に属する。インドでも菩提大寺の沙門が、象・馬・車や武具などを蓄えて王者になぞらえた類は、正真正銘の戒を犯すことである。どの国でも、心を用いない者は多くこの類に堕ちるのである。おおよそ住まい・乗り物・身の回りの道具に至るまで、沙門は沙門の法に従うべきであり、行住坐臥、衣を着ることや飯を食べることまで、ことごとく法があることを知るべきである。今の世間で世僧・官僧などという者たちが俗服を着て俗人の立ち居振る舞いを真似するのは、賢聖の儀には違うけれども、その宗その寺で近古以来格式になってきたことは、まずそのままでよいのである。身綺にはならない。もし厳しく論ずるなら、別の威儀を設けて賢聖の儀に違うのは、みなあってはならないことである。もし外道に従うなら、その罪はさらに重い。袈裟が木の先の幡のようになるのは、法が滅びる相に属する。草の衣や木の実を食べる行も、みな正しい則ではない。

解説

今度は出家が俗人の姿を真似る側を論じる。王者のように象馬や武具を蓄えた僧の例を挙げつつ、沙門は住まいから食事まで法に従えと説く。その一方で、世僧・官僧が俗服を着る当時の慣行は、宗派の格式として定着したものならまずよいと認め、厳しく言えばあってはならないと但し書きを付ける。草衣木食のような極端な苦行も正則ではないとする。理想と現実の間で、慣行を頭ごなしに否定せず、しかし基準は曖昧にしないという尊者らしい均衡がうかがえる。

この章句が説くこと

沙門威儀出家法滅格式行住坐臥

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