十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
初心ノ者ハ此等ヲ信セヨ。次第ニ正知見ヲ得ル基トナルシヤ。此ニ信スルト云ハ。律儀ニ聖賢ノ書ヲ信受スルシヤ。或ハ理ヲ擴メテ信スルコトシヤ。其理ヲ決擇スルハ唯聖賢ニ在ル。凡夫ノマネヲスヘキテナイ。有人カ著セシ鬼神論ト云書ニ。此ヲ宋儒ノ理學ニ安排布置シテ云タ。皆閑言語シヤ。兎角因果報應ヲ信セネハ。世間ハクラヤミシヤ。云ヘハ云ホト理窟ノミシヤ。論語ニ子路カ鬼神ニ事ヘンコトヲ問。孔子ノ答ニ。未能事人。焉能事鬼ト。敢テ死ヲ問。未知生。焉知死ト。看ヨ。後儒ノ云如ク。一氣飄然泯然トシテ盡ルト云ヤウナル淺近ノ理ナラハ。孔子カ直ニ子路ニ教ヘキコトナレトモ。十哲ノ中ノ子路ニタニ告ヌカラハ。此中別ニ深趣有テ存スト知ルヘキシヤ。
新字:初心ノ者ハ此等ヲ信セヨ。次第ニ正知見ヲ得ル基トナルシヤ。此ニ信スルト云ハ。律儀ニ聖賢ノ書ヲ信受スルシヤ。或ハ理ヲ擴メテ信スルコトシヤ。其理ヲ決択スルハ唯聖賢ニ在ル。凡夫ノマネヲスヘキテナイ。有人カ著セシ鬼神論ト云書ニ。此ヲ宋儒ノ理学ニ安排布置シテ云タ。皆閑言語シヤ。兎角因果報応ヲ信セネハ。世間ハクラヤミシヤ。云ヘハ云ホト理窟ノミシヤ。論語ニ子路カ鬼神ニ事ヘンコトヲ問。孔子ノ答ニ。未能事人。焉能事鬼ト。敢テ死ヲ問。未知生。焉知死ト。看ヨ。後儒ノ云如ク。一気飄然泯然トシテ尽ルト云ヤウナル浅近ノ理ナラハ。孔子カ直ニ子路ニ教ヘキコトナレトモ。十哲ノ中ノ子路ニタニ告ヌカラハ。此中別ニ深趣有テ存スト知ルヘキシヤ。
書き下し
初心ノ者ハ此等ヲ信セヨ。次第ニ正知見ヲ得ル基トナルシヤ。此ニ信スルト云ハ。律儀ニ聖賢ノ書ヲ信受スルシヤ。或ハ理ヲ擴メテ信スルコトシヤ。其理ヲ決択スルハ唯聖賢ニ在ル。凡夫ノマネヲスヘキテナイ。有人カ著セシ鬼神論ト云書ニ。此ヲ宋儒ノ理学ニ安排布置シテ云タ。皆閑言語シヤ。兎角因果報応ヲ信セネハ。世間ハクラヤミシヤ。云ヘハ云ホト理窟ノミシヤ。論語ニ子路カ鬼神ニ事ヘンコトヲ問。孔子ノ答ニ。未能事人。焉能事鬼ト。敢テ死ヲ問。未知生。焉知死ト。看ヨ。後儒ノ云如ク。一気飄然泯然トシテ尽ルト云ヤウナル浅近ノ理ナラハ。孔子カ直ニ子路ニ教ヘキコトナレトモ。十哲ノ中ノ子路ニタニ告ヌカラハ。此中別ニ深趣有テ存スト知ルヘキシヤ。
現代語訳
初心の者はこれらを信じなさい。次第に正しい知見を得る基となるのである。ここで信じるというのは、律儀に聖賢の書を信じ受けることである。あるいは理を押し広げて信じることである。その理を見極めて判断するのは、ただ聖賢にある。凡夫の真似をすべきではない。ある人が著した鬼神論という書で、これを宋儒の理学にあてはめて並べて論じている。みな無駄な言葉である。とにかく因果の報いを信じなければ、世間は暗闇である。言えば言うほど理屈ばかりになるのである。論語に、子路が鬼神に仕えることを問うた。孔子の答えは、まだ人に仕えることもできないのに、どうして鬼に仕えることができようか、であった。あえて死について問うた。まだ生を知らないのに、どうして死を知ろうか、と。見よ。後の儒者が言うように、気が漂い消えて尽きてしまうというような浅く手近な理であるなら、孔子はすぐに子路に教えたはずである。十哲の一人である子路にさえ告げなかったのだから、ここには別に深い趣旨があると知るべきである。
解説

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