十善法語 / 巻第四・不妄語戒
此義カ衆藝童子ノ阿字ヲ唱ル時。具足シテ衆生心中ニアラハルルヲ般若波羅蜜門ト云シヤ。此阿ノ聲ハトリモ直サス我邦ノアサキノアシヤ。衆藝童子ノミ阿字ヲ唱ルテハナイ。我邦ノ手習子モ唱ルコトシヤ。人間ハカリ此ヲ唱ルテハナイ。一切鳥獸モ此般若波羅蜜門シヤ。有情ハカリテハナイ。風聲水聲モ是菩薩威力入無差別境界シヤ。一切諸法カ此阿字門ノ中ニ攝シ盡シテ餘ナキシヤ。本來言音聲韻。德トシテ是ノ如クナレトモ。唯過去無量却ノ妄語ノ業障ニ因テ。シハラク顯ハレヌマテシヤ。
新字:此義カ衆芸童子ノ阿字ヲ唱ル時。具足シテ衆生心中ニアラハルルヲ般若波羅蜜門ト云シヤ。此阿ノ声ハトリモ直サス我邦ノアサキノアシヤ。衆芸童子ノミ阿字ヲ唱ルテハナイ。我邦ノ手習子モ唱ルコトシヤ。人間ハカリ此ヲ唱ルテハナイ。一切鳥獣モ此般若波羅蜜門シヤ。有情ハカリテハナイ。風声水声モ是菩薩威力入無差別境界シヤ。一切諸法カ此阿字門ノ中ニ摂シ尽シテ余ナキシヤ。本来言音声韻。徳トシテ是ノ如クナレトモ。唯過去無量却ノ妄語ノ業障ニ因テ。シハラク顕ハレヌマテシヤ。
書き下し
此義カ衆芸童子ノ阿字ヲ唱ル時。具足シテ衆生心中ニアラハルルヲ般若波羅蜜門ト云シヤ。此阿ノ声ハトリモ直サス我邦ノアサキノアシヤ。衆芸童子ノミ阿字ヲ唱ルテハナイ。我邦ノ手習子モ唱ルコトシヤ。人間ハカリ此ヲ唱ルテハナイ。一切鳥獣モ此般若波羅蜜門シヤ。有情ハカリテハナイ。風声水声モ是菩薩威力入無差別境界シヤ。一切諸法カ此阿字門ノ中ニ摂シ尽シテ余ナキシヤ。本来言音声韻。徳トシテ是ノ如クナレトモ。唯過去無量却ノ妄語ノ業障ニ因テ。シハラク顕ハレヌマテシヤ。
現代語訳
この意味が、衆芸童子が阿の字を唱える時に、具わって衆生の心の中に現れることを、般若波羅蜜の門と言うのである。この阿の声は、取りも直さず我が国のいろはの「あさき」のあである。衆芸童子だけが阿の字を唱えるのではない。我が国の手習いの子も唱えることである。人間だけがこれを唱えるのではない。一切の鳥獣もこの般若波羅蜜の門である。心ある者だけではない。風の声、水の声も、これは菩薩の威力によって無差別の境界に入ることである。一切の諸法がこの阿字の門の中に収め尽くされて余りがないのである。本来、言葉の響きや声の韻は、徳としてこのようであるけれども、ただ過去の無量劫の妄語の業障によって、しばらく現れないだけなのである。
解説
この章句が説くこと
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