十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒
此衆生界。往處トシテ火大ナラサルナク。看處トシテ火大ナラサルナシ。若能所相對シテ自他隔歷生スレハ。此火大烈焰瞋恚トナリ來ル。諸ノ違惱ノ境我瞋恚ヲ發起シ。我瞋恚ヨリ違逆ノ境ヲ造立シテ。乃至瞋恚相應ノ世界。惡趣ノ生死トナル。却ヨリ却ヲ累テ。唯純苦聚ノアル處シヤ。若自ラ回光返照セハ。此火大智慧ト相應ス。業種ヲ淨盡シテ諸佛ノ光明トナルシヤ。此衆生界。往處トシテ風大ナラサルナク。見處トシテ風大ナラサルナシ。若ウカレ往テ止サレハ。此風散亂トナリ來ル。散亂ノ境自心ヲ熏シ。散亂ノ心境界ヲ亂テ。第三禪已下。此風大ニ由テ禪定ヲ亂ス。今日出入ノ息アル者ハ皆散亂ニ屬ス。乃至散動ノ諸蟲トナル。經中ニ迦羅毗羅蟲風ヲ得テ其身廣大ニナルトアル。刧ヨリ刧ヲ累テ。唯散亂ノアル處シヤ。若自ラ回光返照セハ。此風大神通妙用ヲ起ス。阿難尊者ノ風奮迅三昧ニ入テ身ヲ四處ニ分モ。其一分ノ德ト云コトシヤ。又斯四大ニ一ノ空ヲ加ヘテ五大ト云。又更ニ識ヲ加ヘテ六大ト云。皆法ノ規則アリテ差ハヌコトシヤ。此中且ク入道ノ初要。十善相應ノ分齊ヲ說シヤ。諸有志ノ者ハ入ニ隨テ法甚深ナルヲ知ルヘキシヤ。
新字:此衆生界。往処トシテ火大ナラサルナク。看処トシテ火大ナラサルナシ。若能所相対シテ自他隔歴生スレハ。此火大烈炎瞋恚トナリ来ル。諸ノ違悩ノ境我瞋恚ヲ発起シ。我瞋恚ヨリ違逆ノ境ヲ造立シテ。乃至瞋恚相応ノ世界。悪趣ノ生死トナル。却ヨリ却ヲ累テ。唯純苦聚ノアル処シヤ。若自ラ回光返照セハ。此火大智慧ト相応ス。業種ヲ浄尽シテ諸仏ノ光明トナルシヤ。此衆生界。往処トシテ風大ナラサルナク。見処トシテ風大ナラサルナシ。若ウカレ往テ止サレハ。此風散乱トナリ来ル。散乱ノ境自心ヲ熏シ。散乱ノ心境界ヲ乱テ。第三禅已下。此風大ニ由テ禅定ヲ乱ス。今日出入ノ息アル者ハ皆散乱ニ属ス。乃至散動ノ諸虫トナル。経中ニ迦羅毗羅虫風ヲ得テ其身広大ニナルトアル。刧ヨリ刧ヲ累テ。唯散乱ノアル処シヤ。若自ラ回光返照セハ。此風大神通妙用ヲ起ス。阿難尊者ノ風奮迅三昧ニ入テ身ヲ四処ニ分モ。其一分ノ徳ト云コトシヤ。又斯四大ニ一ノ空ヲ加ヘテ五大ト云。又更ニ識ヲ加ヘテ六大ト云。皆法ノ規則アリテ差ハヌコトシヤ。此中且ク入道ノ初要。十善相応ノ分斉ヲ説シヤ。諸有志ノ者ハ入ニ随テ法甚深ナルヲ知ルヘキシヤ。
書き下し
此衆生界。往処トシテ火大ナラサルナク。看処トシテ火大ナラサルナシ。若能所相対シテ自他隔歴生スレハ。此火大烈炎瞋恚トナリ来ル。諸ノ違悩ノ境我瞋恚ヲ発起シ。我瞋恚ヨリ違逆ノ境ヲ造立シテ。乃至瞋恚相応ノ世界。悪趣ノ生死トナル。却ヨリ却ヲ累テ。唯純苦聚ノアル処シヤ。若自ラ回光返照セハ。此火大智慧ト相応ス。業種ヲ浄尽シテ諸仏ノ光明トナルシヤ。此衆生界。往処トシテ風大ナラサルナク。見処トシテ風大ナラサルナシ。若ウカレ往テ止サレハ。此風散乱トナリ来ル。散乱ノ境自心ヲ熏シ。散乱ノ心境界ヲ乱テ。第三禅已下。此風大ニ由テ禅定ヲ乱ス。今日出入ノ息アル者ハ皆散乱ニ属ス。乃至散動ノ諸虫トナル。経中ニ迦羅毗羅虫風ヲ得テ其身広大ニナルトアル。刧ヨリ刧ヲ累テ。唯散乱ノアル処シヤ。若自ラ回光返照セハ。此風大神通妙用ヲ起ス。阿難尊者ノ風奮迅三昧ニ入テ身ヲ四処ニ分モ。其一分ノ徳ト云コトシヤ。又斯四大ニ一ノ空ヲ加ヘテ五大ト云。又更ニ識ヲ加ヘテ六大ト云。皆法ノ規則アリテ差ハヌコトシヤ。此中且ク入道ノ初要。十善相応ノ分斉ヲ説シヤ。諸有志ノ者ハ入ニ随テ法甚深ナルヲ知ルヘキシヤ。
現代語訳
この衆生界は、行く所として火大でない所はなく、見る所として火大でないものはない。もし能(見るもの)と所(見られるもの)が向かい合って自他の隔てが生じれば、この火大は烈しい炎の瞋恚となって来る。諸々の逆らい悩ませる境が自分の瞋恚を起こし、自分の瞋恚から逆らう境を作り立てて、ついには瞋恚と相応する世界、悪趣の生死となる。劫から劫を重ねて、ただ純粋な苦しみの集まる所である。もし自ら光を回らして自己を照らせば、この火大は智慧と相応する。業の種を浄め尽くして、諸仏の光明となるのである。この衆生界は、行く所として風大でない所はなく、見る所として風大でないものはない。もし浮かれて行って止まらなければ、この風は散乱となって来る。散乱の境が自分の心に薫じ、散乱の心が境界を乱して、第三禅以下は、この風大によって禅定を乱す。今日、出入りの息のある者は、みな散乱に属する。ついには散り動く諸々の虫となる。経の中に、迦羅毗羅虫が風を得てその身が広大になる、とある。劫から劫を重ねて、ただ散乱のある所である。もし自ら光を回らして自己を照らせば、この風大は神通の妙なる働きを起こす。阿難尊者が風奮迅三昧に入って身を四か所に分けたのも、その一分の徳ということである。また、この四大に一つの空を加えて五大と言う。また更に識を加えて六大と言う。みな法の規則があって違わないことである。ここでは、しばらく道に入る初めの要として、十善に相応する範囲を説いたのである。諸々の志ある者は、入るに従って法が甚だ深いことを知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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