十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
地ヲ盜ムト云ハ農人カ田地ノ畔際ヲカスメ侵スル類。水ヲ盜ムト云ハ。五六月早魃ノ時。他ノ田作ルヘキ水ヲ我方ニ引類。火ヲ盜ムト云ハ。暗夜ニ他ノ灯光ヲヒキ。寒天ニ他ノ炭火ヲ妄ニ用フル類。風ヲ盜ムト云ハ。炎暑ノ時凉風ヲ我家ニ引ク類。多般ノ事皆準シテ知ルカヨイ。又他ノ智慧ヲモ盜ム。祿ヲモ盜ム。其功ヲモ盜ム。位ヲモ盜ム。官ヲモ盜ム等。ミナ此ニ例シテ知レ。
新字:地ヲ盗ムト云ハ農人カ田地ノ畔際ヲカスメ侵スル類。水ヲ盗ムト云ハ。五六月早魃ノ時。他ノ田作ルヘキ水ヲ我方ニ引類。火ヲ盗ムト云ハ。暗夜ニ他ノ灯光ヲヒキ。寒天ニ他ノ炭火ヲ妄ニ用フル類。風ヲ盗ムト云ハ。炎暑ノ時凉風ヲ我家ニ引ク類。多般ノ事皆準シテ知ルカヨイ。又他ノ智慧ヲモ盗ム。禄ヲモ盗ム。其功ヲモ盗ム。位ヲモ盗ム。官ヲモ盗ム等。ミナ此ニ例シテ知レ。
書き下し
地ヲ盗ムト云ハ農人カ田地ノ畔際ヲカスメ侵スル類。水ヲ盗ムト云ハ。五六月早魃ノ時。他ノ田作ルヘキ水ヲ我方ニ引類。火ヲ盗ムト云ハ。暗夜ニ他ノ灯光ヲヒキ。寒天ニ他ノ炭火ヲ妄ニ用フル類。風ヲ盗ムト云ハ。炎暑ノ時凉風ヲ我家ニ引ク類。多般ノ事皆準シテ知ルカヨイ。又他ノ智慧ヲモ盗ム。禄ヲモ盗ム。其功ヲモ盗ム。位ヲモ盗ム。官ヲモ盗ム等。ミナ此ニ例シテ知レ。
現代語訳
地を盗むと言うのは、農民が田地の畔の際をかすめ侵す類である。水を盗むと言うのは、五、六月の旱魃の時に、他人の田を作るはずの水を自分の方に引く類である。火を盗むと言うのは、暗い夜に他人の灯火の光を引き、寒い日に他人の炭火をみだりに用いる類である。風を盗むと言うのは、炎暑の時に涼風を自分の家に引く類である。さまざまな事は、みなこれに準じて知るがよい。また他人の智慧をも盗む。禄をも盗む。その功をも盗む。位をも盗む。官をも盗む等、みなこれに例して知りなさい。
解説

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