十善法語 / 巻第五・不綺語戒
道ニモ大小アリ。德ニモ大小吉凶アル。大人ハ大人ノ軌度アルベク。小人ハ小人ノ作法アルベシ。小人ノ作法ハ綺語ヲモ許スベキシヤ。婬男婬女花兒ナトハ其器ナルベシシヤ。良民ノ中ニモ。侍女ノ類。小臣弄臣ノ類ハ。時時嬉戲アルモ可ナリシヤ。時ニノソミ興ニマカセテハ。公卿タリトモ少分ノ綺語ハ妨アルマシキ歟シヤ。但國君大人ト。眞正ノ佛弟子トハ謹愼ニ護持スヘキコトシヤ。
新字:道ニモ大小アリ。徳ニモ大小吉凶アル。大人ハ大人ノ軌度アルベク。小人ハ小人ノ作法アルベシ。小人ノ作法ハ綺語ヲモ許スベキシヤ。婬男婬女花児ナトハ其器ナルベシシヤ。良民ノ中ニモ。侍女ノ類。小臣弄臣ノ類ハ。時時嬉戯アルモ可ナリシヤ。時ニノソミ興ニマカセテハ。公卿タリトモ少分ノ綺語ハ妨アルマシキ歟シヤ。但国君大人ト。真正ノ仏弟子トハ謹慎ニ護持スヘキコトシヤ。
書き下し
道ニモ大小アリ。徳ニモ大小吉凶アル。大人ハ大人ノ軌度アルベク。小人ハ小人ノ作法アルベシ。小人ノ作法ハ綺語ヲモ許スベキシヤ。婬男婬女花児ナトハ其器ナルベシシヤ。良民ノ中ニモ。侍女ノ類。小臣弄臣ノ類ハ。時時嬉戯アルモ可ナリシヤ。時ニノソミ興ニマカセテハ。公卿タリトモ少分ノ綺語ハ妨アルマシキ歟シヤ。但国君大人ト。真正ノ仏弟子トハ謹慎ニ護持スヘキコトシヤ。
現代語訳
道にも大小があり、徳にも大小吉凶がある。大人には大人の軌度があるべきであり、小人には小人の作法があるべきである。小人の作法としては、綺語をも許してよいのである。遊び人の男女や花児(芸人)などは、その器であるはずである。良民の中でも、侍女の類、小臣や主君の遊び相手の臣の類は、時々戯れがあってもよいのである。時に臨み興に任せては、公卿であっても少しの綺語は差し支えないであろうか。ただし国君や大人と、真正の仏弟子とは、慎んで護持すべきことである。
解説
戒の厳しさを立場によって分ける段である。大人には大人の、小人には小人の作法があり、芸人や侍女、君側の小臣などは時々戯れてもよく、公卿も興に任せて少しの綺語は差し支えないかもしれない、と尊者は認める。ただ国の君主や人の上に立つ大人、そして真の仏弟子だけは慎んで守れという。一律に禁じるのではなく、影響力と責任の大きさに応じて求める水準を変える考え方である。上に立つ者ほど言葉を慎むべきだという、この巻の一貫した主張がここでも確認される。
この章句が説くこと
大人小人綺語分戒仏弟子
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