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十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

舌ニ五味ヲ嘗ル。內外ハ何處ニ安布ス。自他ハ何ノ處ニ安布ス。好惡ハ何ノ處ニ安排布置スル。此內外ヲ見テ佛性ヲ知ル。此自他ヲ見テ佛性ヲ知ル。此好惡ノ相ヲ見テ明ニ佛性ニ達スル。味境ト舌根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言說ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不兩舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。身ニ觸ヲ覺スル。內外ハ何處ニ安布ス。自他ハ何ノ處ニ安布ス。好惡ハ何ノ處ニ安排布置スル。此內外ヲ見テ佛性ヲ知ル。自他ヲ見テ佛性ヲ知ル。好惡ノ相ヲ見テ明ニ佛性ニ達スル。觸境ト身根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言說ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不兩舌戒ノ性ト名ツクル。意ニ法ヲ分別スル。內外ハ何ノ處ニ安排スル。自他ハ何ノ處ニ安布ス。善惡邪正是非得失ハ何ノ處ニ安排布置スル。此內外ヲ見テ佛性ヲ知ル。此自他ヲ見テ佛性ヲ知ル。此善惡邪正是非得失ノ相ヲ見テ明ニ佛性ニ達スル。一切ノ善惡邪正。是非得失ト意根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言說ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不兩舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。

新字:舌ニ五味ヲ嘗ル。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何ノ処ニ安布ス。好悪ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此好悪ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。味境ト舌根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。身ニ触ヲ覚スル。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何ノ処ニ安布ス。好悪ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。好悪ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。触境ト身根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクル。意ニ法ヲ分別スル。内外ハ何ノ処ニ安排スル。自他ハ何ノ処ニ安布ス。善悪邪正是非得失ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此善悪邪正是非得失ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。一切ノ善悪邪正。是非得失ト意根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。

書き下し

舌ニ五味ヲ嘗ル。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何ノ処ニ安布ス。好悪ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此好悪ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。味境ト舌根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。身ニ触ヲ覚スル。内外ハ何処ニ安布ス。自他ハ何ノ処ニ安布ス。好悪ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。好悪ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。触境ト身根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクル。意ニ法ヲ分別スル。内外ハ何ノ処ニ安排スル。自他ハ何ノ処ニ安布ス。善悪邪正是非得失ハ何ノ処ニ安排布置スル。此内外ヲ見テ仏性ヲ知ル。此自他ヲ見テ仏性ヲ知ル。此善悪邪正是非得失ノ相ヲ見テ明ニ仏性ニ達スル。一切ノ善悪邪正。是非得失ト意根ト。一異ノ相ナク。凡聖ノ相ナク。迷悟ノ相ナク。言説ノ相ナク。心念ノ相ナイ。此ヲ不両舌戒ノ性ト名ツクルシヤ。

現代語訳

舌に五味を味わう。内と外はどこに配置されているか。自と他はどこに配置されているか。好悪はどこに配置されているか。この内外を見て仏性を知る。この自他を見て仏性を知る。この好悪の相を見て、明らかに仏性に達する。味の対象と舌の器官とには、一つだの異なるだのの相がなく、凡夫だの聖者だのの相がなく、迷いだの悟りだのの相がなく、言葉の相がなく、心で思う相がない。これを不両舌戒の性と名づけるのである。身に触れるものを覚える。内と外はどこに配置されているか。自と他はどこに配置されているか。好悪はどこに配置されているか。この内外を見て仏性を知る。自他を見て仏性を知る。好悪の相を見て、明らかに仏性に達する。触れる対象と身の器官とには、一つだの異なるだのの相がなく、凡夫だの聖者だのの相がなく、迷いだの悟りだのの相がなく、言葉の相がなく、心で思う相がない。これを不両舌戒の性と名づける。意で法を分別する。内と外はどこに配置されているか。自と他はどこに配置されているか。善悪・邪正・是非・得失はどこに配置されているか。この内外を見て仏性を知る。この自他を見て仏性を知る。この善悪・邪正・是非・得失の相を見て、明らかに仏性に達する。一切の善悪・邪正・是非・得失と意の器官とには、一つだの異なるだのの相がなく、凡夫だの聖者だのの相がなく、迷いだの悟りだのの相がなく、言葉の相がなく、心で思う相がない。これを不両舌戒の性と名づけるのである。

解説

舌、身、そして意へと問いが進み、六根すべてを通し終える。最後の意では、好悪に代わって善悪、邪正、是非、得失が問われる。考える心が最も激しく区別を作るからである。それらの判断も、判断する心と別にどこかに置かれているわけではなく、その相を見ることがそのまま仏性に達する道になる。人を裂く両舌は、是非得失の線引きから生まれることが多い。自分の判断がどこで生まれ、どこに置かれているかを問い直すことが、戒の根に触れることになる。

この章句が説くこと

六根是非得失善悪仏性意根

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