十善法語 / 巻第六・不惡口戒
孝經ニ。治國者不敢侮於鰥寡。而況於士民乎。治家者不敢失於臣妾之心。而況於妻子乎トアル。信陵君カ侯贏ニ事フル。張子房カ黃石公ニ事フル。事ヲ成シ功ヲ遂ル儀シヤ。宋ノ眞宗カ群臣ノ拜ヲ受ニ。首觀音大士ノ像ヲ戴ク。漢ノ高祖カ四皓ヲ重シテ。戚姫ノ愛ヲ割ク。上リテハ周武王ノ箕子ヲ訪フ。周公ノ食時ニ三タヒ哺ヲ吐。沐時ニ三タヒ髪ヲ握ル。堯ノ舜ヲ登庸スル。聖主賢君ノ亡臣側陋ヲ侮ラヌ。カクノ如クシヤ。聖教ノ中ニハ。帝釋天ノ頂生王ヲ接ス。紺容夫人ノ曲脊女ヲ禮スル類。ミナ賢聖ノ儀則シヤ。大名釋氏カ槃特ノ愚ヲ侮ルハ。過去世無智ノ緣由シヤトアル。畢陵伽婆蹉尊者カ水神ニ小婢避水ト命スル。此モ慢ノ餘習ト云コトシヤ。
新字:孝経ニ。治国者不敢侮於鰥寡。而況於士民乎。治家者不敢失於臣妾之心。而況於妻子乎トアル。信陵君カ侯贏ニ事フル。張子房カ黄石公ニ事フル。事ヲ成シ功ヲ遂ル儀シヤ。宋ノ真宗カ群臣ノ拝ヲ受ニ。首観音大士ノ像ヲ戴ク。漢ノ高祖カ四皓ヲ重シテ。戚姫ノ愛ヲ割ク。上リテハ周武王ノ箕子ヲ訪フ。周公ノ食時ニ三タヒ哺ヲ吐。沐時ニ三タヒ髪ヲ握ル。堯ノ舜ヲ登庸スル。聖主賢君ノ亡臣側陋ヲ侮ラヌ。カクノ如クシヤ。聖教ノ中ニハ。帝釈天ノ頂生王ヲ接ス。紺容夫人ノ曲脊女ヲ礼スル類。ミナ賢聖ノ儀則シヤ。大名釈氏カ槃特ノ愚ヲ侮ルハ。過去世無智ノ縁由シヤトアル。畢陵伽婆蹉尊者カ水神ニ小婢避水ト命スル。此モ慢ノ余習ト云コトシヤ。
書き下し
孝経ニ。治国者不敢侮於鰥寡。而況於士民乎。治家者不敢失於臣妾之心。而況於妻子乎トアル。信陵君カ侯贏ニ事フル。張子房カ黄石公ニ事フル。事ヲ成シ功ヲ遂ル儀シヤ。宋ノ真宗カ群臣ノ拝ヲ受ニ。首観音大士ノ像ヲ戴ク。漢ノ高祖カ四皓ヲ重シテ。戚姫ノ愛ヲ割ク。上リテハ周武王ノ箕子ヲ訪フ。周公ノ食時ニ三タヒ哺ヲ吐。沐時ニ三タヒ髪ヲ握ル。堯ノ舜ヲ登庸スル。聖主賢君ノ亡臣側陋ヲ侮ラヌ。カクノ如クシヤ。聖教ノ中ニハ。帝釈天ノ頂生王ヲ接ス。紺容夫人ノ曲脊女ヲ礼スル類。ミナ賢聖ノ儀則シヤ。大名釈氏カ槃特ノ愚ヲ侮ルハ。過去世無智ノ縁由シヤトアル。畢陵伽婆蹉尊者カ水神ニ小婢避水ト命スル。此モ慢ノ余習ト云コトシヤ。
現代語訳
孝経に、国を治める者は、あえて寡夫や寡婦を侮らない。まして士や民においてはなおさらである。家を治める者は、あえて召使いの心を失わない。まして妻子においてはなおさらである、とある。信陵君が侯嬴に仕え、張子房(張良)が黄石公に仕えたのは、事を成し功を遂げる道である。宋の真宗が群臣の拝礼を受ける時、頭に観音大士の像を戴いた。漢の高祖が四皓を重んじて、戚夫人への愛を割いた。さらにさかのぼっては、周の武王が箕子を訪ね、周公が食事の時に三度口の中の物を吐き出し、髪を洗う時に三度髪を握って客に会い、堯が舜を登用した。聖主や賢君が、亡国の臣や身分の低い者を侮らないことは、このようである。聖教の中には、帝釈天が頂生王を迎え、紺容夫人が背の曲がった女を礼拝した類がある。みな賢者聖者の模範である。大名釈氏が槃特の愚かさを侮ったのは、過去世の無智の因縁である、とある。畢陵伽婆蹉尊者が水神に、小婢よ水を避けよ、と命じたのも、慢心の残り癖だということである。
解説
この章句が説くこと
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