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十善法語 / 巻第八・不貪欲戒

若謹愼餘リアツテ灾難ニ遇フ。此難ハ福ノ基シヤ。滿分ニ他ヲ惠ンテ怨讎ヲ生スル。此怨讎ハ必ス人望ノ歸スル基シヤ。世ノ愚ナル者ハ灾難ニ遇テ憂惱スル。憂惱增長スレハ。鬼類便ヲ得テ灾害カ斷絕セヌシヤ。アタラ福緣ヲ失フシヤ。怨讎ニ遇テ瞋怒ヲ生スル。瞋怒カ增長スレハ。此モ鬼類ソノ便ヲ得テ。生生怨敵トナル。アタラ人望ヲ失フシヤ。正眼ニ看レハ。易ノ書モ全ク十善ノヨソホヒシヤ。□ナハ又老子ニ知足者富トアル。遺教經ニ。知足ノ人ハ貧シトイヘトモ常ニ富リ。不知足ノ者ハ天堂ニ處ストイヘトモ猶意ニカナハヌトアル。此ニ至テ內道外典ヲ分別スルハ相違セルコトシヤ。

新字:若謹慎余リアツテ災難ニ遇フ。此難ハ福ノ基シヤ。満分ニ他ヲ恵ンテ怨讎ヲ生スル。此怨讎ハ必ス人望ノ帰スル基シヤ。世ノ愚ナル者ハ災難ニ遇テ憂悩スル。憂悩增長スレハ。鬼類便ヲ得テ災害カ断絶セヌシヤ。アタラ福縁ヲ失フシヤ。怨讎ニ遇テ瞋怒ヲ生スル。瞋怒カ增長スレハ。此モ鬼類ソノ便ヲ得テ。生生怨敵トナル。アタラ人望ヲ失フシヤ。正眼ニ看レハ。易ノ書モ全ク十善ノヨソホヒシヤ。□ナハ又老子ニ知足者富トアル。遺教経ニ。知足ノ人ハ貧シトイヘトモ常ニ富リ。不知足ノ者ハ天堂ニ処ストイヘトモ猶意ニカナハヌトアル。此ニ至テ内道外典ヲ分別スルハ相違セルコトシヤ。

書き下し

若謹慎余リアツテ灾難ニ遇フ。此難ハ福ノ基シヤ。満分ニ他ヲ恵ンテ怨讎ヲ生スル。此怨讎ハ必ス人望ノ帰スル基シヤ。世ノ愚ナル者ハ灾難ニ遇テ憂悩スル。憂悩增長スレハ。鬼類便ヲ得テ灾害カ断絶セヌシヤ。アタラ福縁ヲ失フシヤ。怨讎ニ遇テ瞋怒ヲ生スル。瞋怒カ增長スレハ。此モ鬼類ソノ便ヲ得テ。生生怨敵トナル。アタラ人望ヲ失フシヤ。正眼ニ看レハ。易ノ書モ全ク十善ノヨソホヒシヤ。□ナハ又老子ニ知足者富トアル。遺教経ニ。知足ノ人ハ貧シトイヘトモ常ニ富リ。不知足ノ者ハ天堂ニ処ストイヘトモ猶意ニカナハヌトアル。此ニ至テ内道外典ヲ分別スルハ相違セルコトシヤ。

現代語訳

もし謹み慎むことが余るほどであって災難に遭うなら、この難は福の基である。十分に他人に恵んで怨みを生じるなら、この怨みは必ず人望が帰する基である。世の愚かな者は、災難に遭って憂い悩む。憂い悩みが増長すれば、鬼の類がつけ込んで、災害が絶えないのである。惜しくも福縁を失うのである。怨みに遭って怒りを生じる。怒りが増長すれば、これも鬼の類がつけ込んで、生々世々の怨敵となる。惜しくも人望を失うのである。正しい眼で見れば、易の書もまったく十善の装いである。(判読できない語があり)また老子に、「足ることを知る者は富む」とある。遺教経に、「足ることを知る人は、貧しくても常に富んでいる。足ることを知らない者は、天の宮殿に住んでいても、なお意に満たない」とある。ここに至って、仏教の内の道と外の典籍とを分け隔てるのは、間違ったことである。

解説

慎みを尽くしてなお災難に遭うなら、その難は福の基であり、十分に恵んでなお怨まれるなら、その怨みは人望の基だと尊者は言う。愚かな者は災難に憂い、怨みに怒り、その心の隙に鬼の類がつけ込んで、災いや怨敵を自ら増やしてしまう、と当時の世界観の中で説かれる。続けて老子の、足ることを知る者は富む、と遺教経の知足の教えを並べ、仏典と外典を分け隔てるのは誤りだと言う。理不尽な目に遭ったとき、それをどう受け止めるかで次の福が決まる、という視点である。

この章句が説くこと

知足災難怨讎遺教経老子

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