十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒
我身心ノ苦惱不如意ハ我業力ニ由ル。他ノ知ルトコロニ非ス。他ノ慳貪恚憤ハ他ノ妄分別ニ由ル。我身心ニ關ルニアラス。一類愚味ノ者。我業力ニ誑サレテ他ヲ瞋ル。過タコトシヤ。一類愚昧ノ者他ノ妄分別ヲ執着シテ自カラ瞋恚ヲ動スル。淺間シキコトシヤ。迷謬ノ著シキシヤ。法性海中。其境或ハ心ニ順スルニ似ル。其境或ハ心ニ違フニ似ル。コノ順違雜リ生シテ。此世界カムツカシクナル。二六時中。唯是我他彼此シヤ。生ヨリ死ニ至ルマテ唯是橋慢嫉妬シヤ。順境ニ對シテ愛ヲ生スル。此愛衆生ヲ惱亂シテ狙マハシノ狙ヲ使フ如シ。違境ニ對シテ瞋恚ヲ起ス。此瞋恚衆生ヲ惱亂シテ。丈夫ノ小兒ヲ弄スル如シ。愛ヨリ瞋恚ヲ起ス。瞋恚ヨリ愛ヲオコス。此心境界ヲ生スル。此境界心ヲ起ス。環ノ端ナキカ如ク。靑蠅ノ腥肉ヲ離レ得ヌ如クシヤ。
新字:我身心ノ苦悩不如意ハ我業力ニ由ル。他ノ知ルトコロニ非ス。他ノ慳貪恚憤ハ他ノ妄分別ニ由ル。我身心ニ関ルニアラス。一類愚味ノ者。我業力ニ誑サレテ他ヲ瞋ル。過タコトシヤ。一類愚昧ノ者他ノ妄分別ヲ執着シテ自カラ瞋恚ヲ動スル。浅間シキコトシヤ。迷謬ノ著シキシヤ。法性海中。其境或ハ心ニ順スルニ似ル。其境或ハ心ニ違フニ似ル。コノ順違雑リ生シテ。此世界カムツカシクナル。二六時中。唯是我他彼此シヤ。生ヨリ死ニ至ルマテ唯是橋慢嫉妬シヤ。順境ニ対シテ愛ヲ生スル。此愛衆生ヲ悩乱シテ狙マハシノ狙ヲ使フ如シ。違境ニ対シテ瞋恚ヲ起ス。此瞋恚衆生ヲ悩乱シテ。丈夫ノ小児ヲ弄スル如シ。愛ヨリ瞋恚ヲ起ス。瞋恚ヨリ愛ヲオコス。此心境界ヲ生スル。此境界心ヲ起ス。環ノ端ナキカ如ク。青蠅ノ腥肉ヲ離レ得ヌ如クシヤ。
書き下し
我身心ノ苦悩不如意ハ我業力ニ由ル。他ノ知ルトコロニ非ス。他ノ慳貪恚憤ハ他ノ妄分別ニ由ル。我身心ニ関ルニアラス。一類愚味ノ者。我業力ニ誑サレテ他ヲ瞋ル。過タコトシヤ。一類愚昧ノ者他ノ妄分別ヲ執着シテ自カラ瞋恚ヲ動スル。浅間シキコトシヤ。迷謬ノ著シキシヤ。法性海中。其境或ハ心ニ順スルニ似ル。其境或ハ心ニ違フニ似ル。コノ順違雑リ生シテ。此世界カムツカシクナル。二六時中。唯是我他彼此シヤ。生ヨリ死ニ至ルマテ唯是橋慢嫉妬シヤ。順境ニ対シテ愛ヲ生スル。此愛衆生ヲ悩乱シテ狙マハシノ狙ヲ使フ如シ。違境ニ対シテ瞋恚ヲ起ス。此瞋恚衆生ヲ悩乱シテ。丈夫ノ小児ヲ弄スル如シ。愛ヨリ瞋恚ヲ起ス。瞋恚ヨリ愛ヲオコス。此心境界ヲ生スル。此境界心ヲ起ス。環ノ端ナキカ如ク。青蠅ノ腥肉ヲ離レ得ヌ如クシヤ。
現代語訳
自分の身心の苦悩や思い通りにならないことは、自分の業の力による。他人の知ったことではない。他人の慳貪や怒り憤りは、他人の妄りな分別による。自分の身心に関わることではない。ある類の愚かな者は、自分の業の力に欺かれて他人を怒る。誤ったことである。ある類の愚かな者は、他人の妄りな分別に執着して、自ら瞋恚を動かす。浅ましいことである。迷い誤りの著しいことである。法性の海の中で、その境はあるいは心に順うように見え、その境はあるいは心に違うように見える。この順と違が混ざって生じて、この世界が難しくなる。一日中、ただ我と他、彼と此である。生から死に至るまで、ただ驕慢と嫉妬である。順境に対して愛を生じる。この愛は衆生を悩み乱して、猿回しが猿を使うようである。違境に対して瞋恚を起こす。この瞋恚は衆生を悩み乱して、大人が小児をもてあそぶようである。愛から瞋恚を起こす。瞋恚から愛を起こす。この心が境界を生じる。この境界が心を起こす。環に端がないように、青蠅が生臭い肉を離れられないようである。
解説
この章句が説くこと
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風姿花伝・第六 花修一、作者の思ひ分くべき事あり。ひたすらしづかなる本木の音曲ばかりなると、また舞はたらきのみなるとは、一向なれば書きよきものなり。音曲にてはたらく能あるべし、これ一大事なり。真実おもしろしと感をなすは、これなり。聞く所は耳近におもしろき言葉にて、節のかかりよくて、文字移りの美しくつづきたらんが、殊更風情をもちたる詰を嗜みて書くべし。この数々相応する所にて、諸人一同に感をなすなり。さるほどにこまかに知るべき事あり。風情を博士にて音曲をする仕手は、初心のところなり。音曲よりはたらきの生ずるは、劫入りたる故なり。音曲は聞く所、風体は見る所なり。一切の事は、謂を道にしてこそ、よろづの風情にはなるべき理なれ。謂をあらはすは言葉なり。さるほどに音曲は体なり、風情は用なり。然れば音曲よりはたらきの生ずるは順なり、はたらきにて音曲をするは逆なり。諸道諸事において、順逆とこそ下るべけれ、逆順とはあるべからず。返々音曲の言葉のたよりをもて、風体を彩り給ふべきなり。これ音曲はたらき一心になる稽古なり。さるほどに能を書くところに、また工夫あり。音曲よりはたらきを生ぜさせんが為、書くところをば風情を本に書くべし。風情を本に書きて、さてその言葉を謡ふときには、風情おのづから生ずべし。然れば書くところをば風情を先だてて、しかも謡のかかりよきやうに嗜むべし。さて当座の芸能にいたるときは、また音曲を先とすべし。かやうに嗜みて劫入りぬれば、謡ふも風情、舞ふも音曲になりて、万曲一心たる達者となるべし。これまた作者の功名なり。