十善法語 / 巻第四・不妄語戒
元來此身口意業ハ同一ナルモノシヤ。別ニ似テ別ナラヌモノシヤ。身ニ意業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ造ルコトモアリ。口ニ意業ヲ作ルコトモアリ。身業ヲ作ルコトモアリ。意ニ身業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ作ルコトモ有ルシヤ。ソレ故經ノ中律ノ中ニ。口罪ノ妄語身心ノ妄語ト云コトカ有ルシヤ。此中口罪ノ妄語ハ知レタ通リシヤ。身ノ妄語トハ。人ヲ誑カサン爲ニ卑官ノ人カ高官ヲ僞ル。德ナキ者カ有德ノ相ヲ現スル。才ナキ者カ才アルヨソホヒヲ作ス類。一切ミナ此中ニ攝スルシヤ。事例ヲ擧ハ。漢ノ時成方遂カ黃犢ノ車ニ乘テ北闕ニ詣シテ衞太子ノマネスル。戰國ノ時南郭先生カ齊ニ濫吹セシ。唐ノ時。曳白及第ナトノ類カ的シキ身ノ妄語シヤ。
新字:元来此身口意業ハ同一ナルモノシヤ。別ニ似テ別ナラヌモノシヤ。身ニ意業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ造ルコトモアリ。口ニ意業ヲ作ルコトモアリ。身業ヲ作ルコトモアリ。意ニ身業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ作ルコトモ有ルシヤ。ソレ故経ノ中律ノ中ニ。口罪ノ妄語身心ノ妄語ト云コトカ有ルシヤ。此中口罪ノ妄語ハ知レタ通リシヤ。身ノ妄語トハ。人ヲ誑カサン為ニ卑官ノ人カ高官ヲ偽ル。徳ナキ者カ有徳ノ相ヲ現スル。才ナキ者カ才アルヨソホヒヲ作ス類。一切ミナ此中ニ摂スルシヤ。事例ヲ挙ハ。漢ノ時成方遂カ黄犢ノ車ニ乗テ北闕ニ詣シテ衛太子ノマネスル。戦国ノ時南郭先生カ斉ニ濫吹セシ。唐ノ時。曳白及第ナトノ類カ的シキ身ノ妄語シヤ。
書き下し
元来此身口意業ハ同一ナルモノシヤ。別ニ似テ別ナラヌモノシヤ。身ニ意業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ造ルコトモアリ。口ニ意業ヲ作ルコトモアリ。身業ヲ作ルコトモアリ。意ニ身業ヲ作ルコトモアリ。口業ヲ作ルコトモ有ルシヤ。ソレ故経ノ中律ノ中ニ。口罪ノ妄語身心ノ妄語ト云コトカ有ルシヤ。此中口罪ノ妄語ハ知レタ通リシヤ。身ノ妄語トハ。人ヲ誑カサン為ニ卑官ノ人カ高官ヲ偽ル。徳ナキ者カ有徳ノ相ヲ現スル。才ナキ者カ才アルヨソホヒヲ作ス類。一切ミナ此中ニ摂スルシヤ。事例ヲ挙ハ。漢ノ時成方遂カ黄犢ノ車ニ乗テ北闕ニ詣シテ衛太子ノマネスル。戦国ノ時南郭先生カ斉ニ濫吹セシ。唐ノ時。曳白及第ナトノ類カ的シキ身ノ妄語シヤ。
現代語訳
もともとこの身口意の業は同一のものである。別々に見えて別ではないものである。身で意の業を作ることもあり、口の業を作ることもある。口で意の業を作ることもあり、身の業を作ることもある。意で身の業を作ることもあり、口の業を作ることもあるのである。それゆえ経の中にも律の中にも、口の罪の妄語、身の妄語、心の妄語ということがあるのである。この中で口の罪の妄語は知れたとおりである。身の妄語とは、人をたぶらかすために、低い官の人が高い官を偽り、徳のない者が徳のある様子を見せ、才のない者が才のあるそぶりをする類で、一切みなこの中に含まれるのである。事例を挙げれば、漢の時に成方遂が黄色い子牛の車に乗って宮城の北門に出向き、衛太子のまねをした。戦国の時に南郭先生が斉でみだりに笛を吹いた。唐の時に白紙の答案で及第した類などが、まさしく身の妄語である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
-
尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
-
論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
-
徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
-
尚書・君陳至治は馨香にして、神明に感ず。黍稷は馨と非ず、明德のみ惟れ馨し。